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四島トイさん

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投稿済みの記事一覧

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そして帰途へ

17/07/31 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:166

 歌とか歌ってよ、と助手席の女子高生が不貞腐れる。
 夜の山道には街灯の一本もなかった。ガードレールすら途切れ途切れの不慣れな道には、微かに不吉な香りが漂っている。こんな夜更けだというのに、どこかでサイレンが聞こえたような気すらする。サイドミラーにはただただ暗闇しか映っていない。ハンドルを握ったまま「歌と言われても」と口にした自分の声の自信のなさが、泣きたくなるほど滑稽だった。少女の膝に置か・・・

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銃口は誰に向く

17/01/16 コメント:0件 四島トイ 閲覧数:273

 男が一人、革張りの椅子に身を沈めている。
 呼吸はゆっくりと、長く、深い。
 閉じていた瞼が、億劫そうに動き、僕を見つめる。口ひげが僅かに震え、笑ったようにも見えた。やあ、という吐息のような声が、一昔前の衛星通信のような速度で耳に届く。
「そろそろ来ると思っていました」
「ただいま」
「私はご覧のとおりおじいさんになってしまいました」
「僕は一人前になった」<・・・

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つうとかあ

17/01/02 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:438

 それはストーカーじゃないのか、と助手席で眉根を寄せてみせる。
 そう思いますか、と運転席の小黒智則が声を潜めた。ハンドルを落ち着きなくトントンと指で打つ。
「どうしましょう川原先輩。自信なくなってきました」
「むしろ自信があったことに驚きだ」
「彼女とは、その……あれですよ。ツーカーの仲だと思うんですけど」
「スマホ世代の発言とは思えない」
「うちの実家じゃ、・・・

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1/365

16/12/19 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:396

 キリがないよなあ、という手島さんの声。紙束を机の上で整えるトントンという音が続く。
「合コン。また駄目だったんですか」
「また、とか言わないで」
 即座に反論された。パソコン画面の勤務表から目を離すことなく、はいはい、と私は応じる。年末年始にかけてシフトが埋まっているバイトは私だけだ。
 事務室の薄い壁越しに、軽快な店内音楽が耳に届く。冷たいなあ竹倉さんは、と寺島さんが呻・・・

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助けに行くには遠すぎる

16/07/18 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:528

 中平舞が硬直している。
 レジャーシートに正座したまま。スッと伸びた背には今日も長い黒髪が流れている。
 野外授業の自然学習であった。昼食くらいは一緒に食べられるだろうと思っていたのが甘かった。班行動ありきの担任教師の教育方針が恨めしい。
「豊原ちゃんて中平さんと仲良いよねえ。同じ小学校だっけ」
 同じ班の子に指摘に、彼女をぼんやり眺めていたことに気付かされて恥ずかしくな・・・

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この目がそう言っていた

16/03/01 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:595

 男の肩にしな垂れかかる女の色眼鏡の弦がチラリと光るのが目の端に映った。
 ホールの明りを反射してセルロイドのように照る頬。大きく開いた胸元に、青白さすら感じさせる肌。露出した背筋。
 女の艶やかな唇が男の耳元に寄せられる。掠れた声。
「赤の十九よ」
 男の視線が回転するホイールからわずかに外れる。
「本当だな」
「ええ。わたし、目がいいの」
「その目が言・・・

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酔い覚まし

16/02/15 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:549

 一対一もそうだけど、人がたくさん集まるほどに気が滅入るんです。
 そう言うと、なるほど、と誰かが応じる。
 先ほどまでぎこちなく言葉を交わしていたはずの話し相手達がすうっと目の前から消えていく、そんな経験をどれほどしたことでしょう。消えてしまった彼ら彼女らがわたしに背を向けて丸い輪を作るんです。人垣の向こうの談笑が、楽しげな声が、まるで別世界の出来事のよう。
 そう思うにつけ孤・・・

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庭先で本を焼く

16/02/01 コメント:6件 四島トイ 閲覧数:680

 叔父は庭先で火を焚いていた。
 いつもどおりの陰鬱な表情。生気の無い瞳に無精髭。綿の飛び出た半纏姿。腰掛けている空洞コンクリートブロックには赤茶けた泥と青緑色の苔。曇天模様の冬空の下、この世の不吉が服を着て居座っているかのようだ。
 わたしは嬉しくなって駆け寄った。
「笑うもんじゃないよ」
 隣に腰掛けると、橙色に照らされた顔を上げることなく叔父は呟いた。「お前はいつも俺・・・

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魔女によく効く不老不死

16/01/18 コメント:0件 四島トイ 閲覧数:486

 お酒の力を借りて言いますけどお、と後輩の栗原命が頬を染めて立ち上がった。
 右手に瓶を、左手にグラスを握りしめ、ふらつく体を仁王立ちでぐっと踏ん張る。捻った体から絞り出すような言葉は語尾が揺れた。
「小坂先輩が好きです。付き合ってください」
 結婚式当日に花嫁に言うことかよお、と別の席から声が上がる。笑い声が後を追った。
 結婚式の二次会会場となった洋食店。橙色の照明の下・・・

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四人

16/01/04 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:945

 平沢みずほからのガラガラに干乾びた声の電話だった。
 この世の果てから着信したような不吉さが滲み、思わず受話器を遠ざける。そのあまりの鮮明さに携帯電話の高性能さが恨めしかった。
 ひとみちゃあん、と泣き腫らした声がする。
「……どうしたの。同棲中の彼にでも夜逃げされた?」
「なんでわかるのお……」
「うんうん。大変だった。平沢は悪くないから。ウチに来な。話はそれから・・・

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箱庭舞台

15/03/10 コメント:6件 四島トイ 閲覧数:1726

 人混みの向こうに戸柿氏の小さな背中が見え隠れする。
 おかっぱ頭で髪が跳ねる。短いながらも残像を錯覚させる早足。ダブルのウエストコートが加速機能を備えた高機能装備のように見える。
 途切れ途切れに甲高い声が耳に届く。
「エキストラだからと甘くみたのか」
 そんなことありません、と喘ぐように雑踏を掻き分ける。
 冬の平日。午後の日差しが視界を白く霞め、原色のチラつく街・・・

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15/02/23 コメント:6件 四島トイ 閲覧数:1078

 鏡の前で少女が身を翻す。
 深紅のドレスの裾が浮き上がり少女の秘密を体現したような白い脹脛が僅かにのぞく。
 身体の後ろで手を組み小首を傾げて私を見つめる。
 まだわずかに幼さが感じられる。それでも、齢は二回りも違うのに、同じ女としてため息が漏れそうだった。
 彼女がしかめ面でなければ。
「お嬢様、笑顔を」
 口の端が痙攣するように震える。
「もっと自然・・・

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温かな手を

15/02/09 コメント:3件 四島トイ 閲覧数:1347

 飴色の椅子が日曜日の陽光を反射する喫茶店で私は身を縮めた。店内は温かく紳士淑女は高尚な歓談に興じている。制服姿の私達に向けられた、あらあらまあまあ、というひどく古典的な音が混ざって聞こえた。
 怒られたわけでもない。むしろ対面する貝塚君は大変紳士的な高校生男子であり、衆人環視の下で同級生たる私を叱責するとは思えない。なにせ同じクラスという理由で日曜日にコンサートに招待してくれるような人物だ・・・

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空港一夜

15/01/26 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:1078

 既に深夜特有の眠気と覚醒を数十回繰り返していた。しりとりは佳境に差し掛かり、脳が前時代的な放熱音を発している錯覚に襲われる。バクテリオファージにジルチルエーテルと応じる。顔を上げると逆川サキが船を漕いでいた。
「寝るな逆川」
「……寝てないよ。目を閉じてるだけ」
「寝てる奴の言い訳じゃないか」
「だって小鍋君 ラ行ばかりなんだもの」
「それがしりとりだろう」
・・・

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青い芝生

15/01/12 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:890

 学級会は通夜のようにしめやかに執り行われた。
 発言はひとつもなく黒板を打つ白墨の音すらしない。教壇に立つ学級委員長の中里君が眼鏡の弦に触れる。
「……じゃあ文化祭はポスター展示ということで」
 他に意見ありますか、と俯き加減に問いかける彼の声に応じる者もいない。
 不意に笑声がドッと響く。
 クラスメイトは誰も顔を上げない。
 快活な太い声がする。乗ずるよう・・・

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タイムカプセル

14/12/29 コメント:6件 四島トイ 閲覧数:1014

『タイムカプセルを掘り出したいんだ』
 かつての同級生である木戸悟が電話を寄越したのは、大学四年の冬だった。家族を背に気にしながら、リビングの固定電話の前で声を潜める。
「なにそれ」
『小学校の卒業文集に書いてあったんだよ。夢を書いて、十年後の三月に掘り出しますって。俺覚えてないんだけどさ』
 不意に記憶がバラバラと零れる。楕円形でステンレス製のカプセル。教壇に立つ担任。板・・・

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父の放った光線は

14/12/15 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:711

 やっぱりビームがまずいんだよ、と助手席の父に声をかける。
 そうか、という返事は肯定にも疑問にもとれた。
 ハンドルを握り直す。フロントガラスに冬晴れの青が反射する。道はつづら折りに続き、葉を落とした山並みの中を白いガードレールが線を引いていた。黒色のアスファルトは剥離し地面が覗いていた。
 助手席に深くもたれた父は、良い天気だなあ、とのん気に呟いた。現場日和だ、と。
「・・・

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諏訪水見と再会の観測

14/12/01 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:991

 引越先はまだ塗料の香りがする新居だった。少女は携帯電話を耳に当てたまま僅かにざらついたフローリングにぺたりと座る。
 荷物だらけで寝れないよ、と通話口に笑いかける。
 引越会社名が印刷された段ボール箱。膨れた布団袋。見上げる天井には見慣れぬ電灯。
 可愛いのが欲しかったのにお父さんが勝手に、と口を尖らせる。これから毎朝UFOみたいな灯具を見上げながら起きるんだから、と言い募ると・・・

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逃避行

14/11/17 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:1279

 水田には緑の藻が浮いていた。
 踝が隠れるほどの高さの稲穂は微かな風に吹かれ、土手の陽だまりでは合鴨が丸くなっている。
「のどかだなあ」
「……そうですね」
 軽トラックの荷台に二人並んで座る。先輩は胡坐で。私は体育座りで。快晴の空の向こうには、名前も知らない山々が悠然とそびえていた。先輩は伸びをする。
「恋の逃避行といったら南の島だと思ってたけど。信州もいいもんだ・・・

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トコロテンブーム

14/11/03 コメント:6件 四島トイ 閲覧数:1273

 書けない、と作業小屋の岬が卓袱台を拳で打つ。
「苛々するな。暑くなる」
 夏はまだ先だというのに陽光は強い。唸り声が続く。
「妹がこんなに苦しんでいるのに。冷たい」
「……お前の兄は炎天下でテングサ干してるんだが」
 手を止めて顔を上げる。視界いっぱいに敷かれた簾。水洗いした天草がじわじわとコンクリートを湿らせる。青空と海を背景に防波堤に広がった赤紫色が映える。

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朝焼け、密やかさの解法

14/10/21 コメント:0件 四島トイ 閲覧数:706

 夜明け前の交差点を身の丈五尺五寸の犬と並んで歩いていた。
 横断歩道の信号が明滅する。わたし達は歩みを止める。
 気づけば吐く息が白い。マフラーを巻き直す。出したばかりの学生服の皺を伸ばす。冬仕様のわたしを無言で大気に主張する。吸い込む空気が肺の内壁に染み込むようだ。
 わふ、と隣の犬が音を漏らす。横目で見やれば、息が白い。大きな体躯。黒く艶やかで豊な毛並み。蒸気機関のような鼓・・・

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軟着陸的問題解決

14/10/06 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:745

 わかったぞ、と成島部長が真剣な表情で呟いた。
 何がですか、と長机の端に座る新橋が顔を上げる。
 僕は黙ったまま部長の右足に湿布を貼る。苛々しながら図太い足首に包帯をぐるぐる巻き付ける。
「人は飛べないという揺るがない事実だ」
「当然でしょう」
「そんなことありません」
 僕と新橋が同時に放った言葉に部長は苦笑する。「どっちなんだ」
 部室の窓の向こうで・・・

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早朝のメソッド

14/09/22 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:683

「健全で規律ある文化的な一日になるかは早朝に決まるのよ」
 職場の先輩である原川さんはそう言った。仕事終わりに誘われた居酒屋でのことだ。彼女は高らかに宣言すると、その日三杯目のビールジョッキを傾けた。黄金色のアルコールが彼女の艶やかな唇にスイスイと流れ込む。妙齢の己に物怖じすることなく、白い喉はぐびりぐびりと音を鳴らす。
「はあ」
「聞けば宮代君は休日は寝て過ごすらしいわね」

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遠藤新太と恋文の習い

14/09/09 コメント:5件 四島トイ 閲覧数:955

 恋文を書けばいいじゃない、と窓際の蕨野唐子が提案した。風が吹いて手元の英単語帳がパラパラと捲れる。
 漆山与一は同級生女子を見やった。放課後の図書室。周囲に人影がないことを確認して声を潜めた。
「何言ってんだ。恋愛の話じゃないだろ」
「あれ。仲良くなりたいってそういうことじゃないの」
 ねえ、と問いかける先には一人の男子が腰掛けている。
「いやあ、できればトーコ先輩・・・

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眠りの手前

14/07/28 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:906

 天井に青い光が反射している。
 眠りの底に引き寄せられながら、ぼんやりとその光を眺める。
「……消灯ですよー」
 そっと呟くと、二段ベッドがわずかに揺れた。
「お姉ちゃん起きてたの?」
 室内を照らしていた灯りがふっと消える。衣擦れの音と木製の骨組みが軋むかすかな音が暗闇に溶け込んだ。
「……もしかして、起こしちゃった?」
 おずおずと伺う妹の声に、そん・・・

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振り返った少女は

14/07/15 コメント:6件 四島トイ 閲覧数:859

 防波堤の先には鉛色の海が続いている。空は薄い雲に霞み、遠景に見えるはずの島々も身を潜めるように影が揺らめくだけだった。水平線は消失し、海と空の境は判然としなかった。
 軽自動車一台分ほど幅のコンクリートの道を少女が歩く。湿り気を帯びた風が右へ左へと髪と半袖を揺らした。
 防波堤の先端で彼女は立ち止まる。遠い視線。ふと肩が跳ねる。踵を軸にくるりと体が回る。
 振り返った彼女は。<・・・

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目的地は彼方にありて

14/06/30 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:732

 梅雨の真っ只中であった。
 駅前のロータリーはしめやかな雨に霞み、送迎の車が絶えず出入りする。
 買ったばかりの中古車の中でハンドルにもたれ掛かる。フロントガラスでは雨粒が玉になって滑っていく。流れ、伝い、集まる水の粒を目で追うものの、その筋道は予測しようもなかった。
 ポケットの中で携帯電話が震えた。
『すまん親友。のっぴきならない用事ができたんだ』
 僕をタクシ・・・

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雨傘差しのエレジー

14/04/21 コメント:0件 四島トイ 閲覧数:1046

 一寸先を遮るような豪雨だった。
 堤防の桜が竹のようにしなり、電線が縄跳びでもするようにびゅんびゅん跳ねている。生命の危険を感じさせる自然の脅威が唸りを上げていた。
 テレビの向こうで。
 上空を見れば、綺麗な夕焼けに雲がたなびいている。
 視線を戻すと濁流が映し出されている。定点カメラからだという映像には、誰かがバケツリレーで水を掛けているようだった。視点はぶれ、溺れた・・・

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嫁入り狐の手を引いて

14/03/31 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:985

「見事なまでの雨模様」
 ドレス姿の北川サキが、控え室の窓をコンコンと打つ。曇り一つ無く磨かれたホテルのガラス窓。雨粒が引き合うように集まり、零れていく。
「ごめん」
「何で誠二郎君が謝るのさ」
「雨男、だから」
「わたし晴れ女ってよく言われるよ」
「……なんか、ごめん」
 振り向いた彼女は困ったように笑う。露になった素肌の肩をすくめる。
「お天気は・・・

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廃屋にハンマーを振りかぶって

14/03/30 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:732

 転職アドバイザーに勧められて、廃店舗をハンマーで打ち壊す仕事に就いて半年になる。
 その日はラーメン店だった。
「老舗だったんだってよ」
 職場の先輩が感慨深げに、傾いた看板を見上げる。一畳ほどの大きさのトタン製。堂々たるゴシック体で綴られた『ラーメン屋』の文字。
「老舗、ですか」
「ああ。五十年続いた名店らしい」
「名店なのに潰れたんですか。立地ですかね」<・・・

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物語への途上

14/03/17 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:769

 つまらないと思う、とどうにか口にした。
 原稿をカフェのテーブルに置く。ゆっくり息を吐く。正面の彼女を見ないように目を伏せて。膝の上で拳を握る。
 声が震えないように祈りながら。
「最初の事件までの序盤が長く感じるし。主人公と相棒で視点がブレてるから話にも入り込みにくいっていうか……」
 SFだから多少の説明は許容範囲だと思う、視点も限定しないようにしたんだけど、とどこか・・・

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きっとスプーンが曲がったら

14/03/02 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:951

 右手にメッキの剥がれたスプーンを持つ。
 目の高さに掲げて目を閉じる。深呼吸を二回。さらに深く吸って、止める。
 目を開く。
 持ち手の柄と、つぼと呼ばれる窪みの境界を親指で撫でる。
 心の中で唱える。
 曲がれ曲がれ曲がれ。
 しかし、スプーンは曲がらなかった。
「……それ、何」
「スプーンです」
「スプーン持ち歩いてるんだ」
「はい・・・

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三角関係フリーキー

14/02/17 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:980

 ローカル線の無人駅。
 天井だけが高い駅舎。
 三角形に切り取られた天窓に、夕日が反射していた。ベンチの他には何も無いがらんどうの構内。オレンジ色の三角形がくすんだ床や壁にくっきりと投影される。形を持った陽だまりはきらきらと輝いていた。
 ベンチに腰掛けて、やがて暮れて消えるそれらを見る。
 下校を促す高校のチャイムが、遠く聞こえる。
 須原君、と名前を呼ばれた。<・・・

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花嫁誘拐公社

14/02/09 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:971

 結婚式場から花嫁が消えたときの絶望がわかるか、と社長は言った。
 駅前のカフェでパンケーキ食べ放題の新記録に挑戦していた時のことだ。
 コーヒーを飲む向かいの席の若い男。社長と呼ばれる詐欺師。同業者にして私の相棒。
「わかりません」
「佐藤。詐欺師には想像力が必要だ。そうだろ」
 メイプルシロップの独特な風味が口中に広がる。皿を積上げる私のお腹を心配するような店員の・・・

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時代の名前

14/01/27 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:937

 ついにこの日が来た、と依田先輩が窓辺に手をついて宣言した。
 文学部なのに白衣姿。史学科の残念な美人の称号を我が物とする彼女も来週には大学を卒業する。
「お勤めお疲れ様でした」
「……出所者に向けるような送別はやめて」
 先輩は眉根を寄せて顔をしかめる。二人きりの研究室にはいつもと変わらない空気が流れていた。
「少しは先輩の行く末を案じなさい」
 冷血人種め、・・・

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ある馬との旅の果て

14/01/18 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:783

 草原は今、一面が真っ白な雪に覆われていた。
 いや本当に白いのだろうか。
 太陽の光が乱反射し目が痛い。地面が光を放っているかのようだ。
 目を上げれば、昨晩は猛吹雪などありませんでしたよね、と誤魔化すように晴天が広がっている。遠景に、包丁を入れたケーキのような山の絶壁が見えた。
「……きっと誰かに生かされてるんだな俺達は。なあアミナス」
 ぶるる、と手綱の先の馬が・・・

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捨て台詞

14/01/13 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:772

 覚えてろ、と相手は捨て台詞を残す。僕はそれを律儀に覚え続けた。
 だがそれは何の役にも立たなかった。自分の頭の中に山ほど積み込むだけで、誰も回収しようとしなかった。台詞の不法投棄を誰かが取り締まるべきだとすら思った。
「憤まんやる方ないんですよ。何で誰も回収しに来ないんですか」
「そりゃあ。君にボコボコにされるのが嫌だからでしょ。とはいえ二十人相手にして指の骨折だけで済むと思わ・・・

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見渡す屋根

14/01/05 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:867

「遅い」
 教育係のセオがやっと口を開いた。押し殺した鋭い声。来た、とぐっと歯を噛み締める。
 大通りを少し外れ、石畳の路地をわたし達は歩いていた。先を行くセオが振り返る。猫である彼の視線はどうしても見上げるかたちになる。薄く開かれた瞼から覗く緑玉色の瞳。尻尾がゆるりと動く。
「……だって」
「排煙口の掃除だけのはずだ。また屋根から景色を見ていたな」
「いいじゃない。・・・

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蕨野唐子と猛毒ソレナリニー

13/12/30 コメント:6件 四島トイ 閲覧数:1040

 夢を見たんだよ、と蕨野唐子は早朝の教室で呟いた。
「中学の頃。県大会の夜。ちなみに大会はダメダメで、そりゃあ泣いた。悔しくてね」
 彼女は眼鏡を拭きながら続ける。首にかけた無骨なヘッドホンが目に付く。
「部員も皆泣いてた。私は悲嘆に暮れて家に帰って、寝た。眠れるもんか、と思ったけどあっという間に寝たよ。で、夢を見た。私の人生の夢を」
「それはまた壮大だな」
 漆山与・・・

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眠り姫の起こし方

13/12/29 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:1165

 妹にキスをしろ、というのが幼馴染の柿島さんの命令だった。
 市民病院の談話室。自動販売機の前。己の身を切るような切羽詰った口調だった。真っ直ぐな視線が、高校生男子である僕を容赦なく射抜く。彼女は、手にしていたペットボトルを握り潰す。
「有永君にこんなことを頼むのは、非常に不本意だけど。本当に、不本意だけど」
「それはお気の毒に」
 睨みつける視線がさらに鋭さを増した。目を・・・

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彼女はスノードームの向こう側に

13/12/15 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:916

 電話するんじゃなかった、と受話器の前で立ち竦んだ。頭に昇っていた血が引いて体中が冷え込む。深々と降り積もる後悔のなか、己の浅薄さを呪った。

 前略、という律儀な前置きで、宮川千晴の手紙はいつも始まる。
「次は向戸。向戸です。お出口は左側です」
 小さな丸文字を目で追っていると、車内アナウンスが現実の喧騒を呼び戻した。
 電車が揺れ、乗客が身動ぎする。長椅子の下から・・・

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かなしみの伝え方

13/12/02 コメント:3件 四島トイ 閲覧数:972

 早朝の霊園にも訪問者はいる。
 清掃人のアルバイトを始めて得た知識の一つだ。確かに、この市営霊園はどこか公園のような趣がある。芝生は管理が行き届いているし、針葉樹は綺麗に真っ直ぐ伸びている。何より静かだ。散歩やジョギングがてらに深呼吸したくなるのもわかる。
 しかしその日、朝靄の向こうに立っていたのは奇妙な老人だった。
 真っ白の髪に落ち窪んだ瞳。息は荒く、見るからに体調が悪そ・・・

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甘やかな声に佇む

13/11/17 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:1002

 荒瀬のことを考えると、最新型の心拍計でも計測できないような不規則な脈が体中を駆け巡り、胃液が逆流するようなムカつきを覚える。首より上が火照り、形容しがたい気持ち悪さに苛まれる。まるで呪いをかけられたよう。
 それらをぐっと飲み込んで握り拳に力を込める。迎撃体制は整った。
「根本的に面白くないんだよね。この手の携帯小説っぽいもの」
 文芸部の部室が凍りつく。
「スイーツ(笑・・・

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復讐劇の役者達

13/11/10 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:1036

「復讐を手伝ってください」
 おかっぱ頭の高校一年、横沢杏里は頭を下げて話を締め括った。机越しに腰掛けた同級生の諏訪水見が真剣な眼差しで何度も首肯する。その隣で二年の漆山与一は眉間に集中する頭痛を揉み解していた。
 午後の陽の光がたゆたう放課後。三人きりの生物室にかすかな沈黙が訪れる。
「任せて。わたし達も手伝うから」
 身を乗り出す水見を与一が手で制した。「俺はやりたくな・・・

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いつかチーズケーキのなくなる日

13/10/29 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:1087

 切ないなあ、と駒野先輩が呟いた。一方、わたしはチーズケーキと紅茶の相性の良さに夢中だった。学校帰りに寄った駅ビルのカフェでのことだ。顔を上げて、向かいの席に座る先輩の綺麗な黒髪を見やる。
「どうしたんです先輩」
 先輩はふうっとため息をついた。その仕草が艶っぽくもあり、反射のように見とれてしまう。
「ケーキはいつか消えるのよ。誰かのお腹の中に」
 テーブルから椅子まで珈琲・・・

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玄関にやって来たパンダ

13/10/26 コメント:3件 四島トイ 閲覧数:1141

 新聞を読みなさい、というのがその教授の評価だった。
「そもそもさ、今さら新聞っていうのが古い。ニュースなら国営って言ってるくらい古い。ネットでいいじゃん。スマホで。電車に乗りながらで。何が悪いわけ。新聞じっくり読んでる暇あんのは大学教授だけだって。気付いたら山積みになるし。ワンルームのアパートなめんなよ」
 怒りが心頭に達したせいか早口になる由香に、そうだね、と相槌を打ちながら大学構・・・

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湯ノ島高校恋愛代執行部と放課後の不毛な暗躍

13/10/20 コメント:5件 四島トイ 閲覧数:1280

 自転車がカラカラと鳴った。まるで伸びたチェーンの存在を主張しているようで、漆山与一は物悲しい思いにとらわれた。
「自転車、どうします」
 隣を歩いていた後輩の諏訪水見が、手を伸ばして彼の引いていた自転車のベルを鳴らす。チリンッという音色の涼やかさは、音がそのまま筆文字になって空に昇っていくようだった。
「とりあえず島田の家に置いてくる」
「ところでここ、どこでしょうね」<・・・

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ステージは誰がために

13/10/07 コメント:0件 四島トイ 閲覧数:1030

 お疲れ様、と声をかける。彼女はボトルの水を喉を鳴らして一息に飲み干したところだった。覆面代わりの紙袋の隙間から、夜の電飾に照らされた白い喉元ちらりと覗く。
「歌も踊りも悩殺もんだった」
「そんな。趣味の範囲です」
「いや、立派なアイドルだって。ファンだっている」
「帰り道に足止めてくれるだけですよ」
「なら、将来のファンを悩殺するのはどうだろ。高校生男子とか」

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待ち人達

13/09/19 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:1084

 揚げ出し豆腐が来ない、と大渕が吼えた。頬は朱に染まり、酒が回っているのは一目瞭然。ただ、小山のような体格の彼が叫ぶ様子は、夕暮れの山びこを眺めるようで壮大な気分にさせられた。
 大渕は、ひっひっふうっと息を吐きながら卓上のメニューをめくった。
「頼んだよな。なあ、津田。俺、頼んだよなあ」
「どうだったかな」
 正面に座る津田が、いつもどおりの柔和な笑みを浮かべたまま小首を・・・

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スタートラインに立ちたくて

13/09/09 コメント:3件 四島トイ 閲覧数:1224

 努力はしてきた、と思う。握り拳に力を込めて、遠くに見える男子高校生に視線を投げる。隣に立つ友人の吉原千香がふうん、と呟いた。
「まあ、苗なりに頑張ってアプローチしてたとは思うよ」
「え、バレてたの」
「八丈君が転校してきた初日から、一目惚れだったからね」
「ちょっと待って。何それ。何で知ってんのっ」
「日に焼けっぱなしだった野良女子が、ナチュラルメイクに慣れない上目・・・

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神童たちの夜

13/08/23 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:1312

 彼女は両手を広げて縁石を渡る。月に照らされて。しなやかに伸びる腕の先にヒールを揺らして。
「ほらほら見て。月がまあんまる。きれいねえ」
「危ないよ。ガラスでも踏んだら」
 白っぽく浮かび上がった縁石のせいで、夜道はいっそう暗くみえる。素足の彼女はそんなことを気にする様子もなく、酒気を帯びた笑いを吹く。
「平気よ。落ちないもの」
「そう思ってるときに落ちるものなんだ」・・・

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シグナルを聞きながら

13/08/07 コメント:4件 四島トイ 閲覧数:1333

 レースは佳境だ。玩具のようなレーシングカートに乗った選手達がコーナーを抜けていく。息をつめる。ゴール付近に客席が見えるのに歓声も聞こえない。最後の直線で加速する。体が前のめる。
「……あああっ」
 誰かがボリュームを操作するかのように、消えていた音が戻ってくる。扇風機の唸り。開かれた窓から漏れ聞こえる庭先の蝉の声。
 ふうっと息をついて視線を移す。隣で青島一輝が畳の上で仰向けに・・・

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宮沢あきのカラッポ

13/07/29 コメント:1件 四島トイ 閲覧数:1231

 宮沢あきには近づくな、というのが友人からの忠告だった。
「宮沢はヤバイって」
「どういう人なのかな、て聞いただけだろ」
「だからヤバイんだ。間違っても惚れるなよな。高城」
 いっそう声を落とす友人に、惚れるかよ、と応じて視線を右にずらす。
 教室の廊下側の三列目。夏服姿の宮沢あきが隣の席の友人らと世界史の課題に挑んでいた。宮沢あきは夏服が似合う。健康的な日焼けのせい・・・

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最後の名探偵

13/07/15 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:1390

 我が探偵事務所の名探偵こと、先生の様子がおかしい。つい先日も爆弾魔事件を解決したばかりで気が抜けているのかとも思ったが、そうでもない。五分刈りに丸眼鏡、開襟シャツという格好はいつも通り。
 でも、何かがおかしい。この探偵事務所において中学の頃からの三年半の助手歴を持ち、業界では『セーラー服の助手ちゃん』の異名を持つわたしが言うのだから間違いない。もちろんこの異名は可及的速やかに返上したい。・・・

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長崎ちゃんぽんと生姜焼き定食

13/06/29 コメント:3件 四島トイ 閲覧数:1437

「……どっちがいいと思う?」
 そっと振り返るわたしに、友人の橋本裕美がため息をつく。「どっちでもいい」
 そうはいかない。不満に頬を膨らませると、裕美はやれやれと頭を振った。
「休憩、食券機の前で終わらせるつもり? せっかく実験抜け出してきたのに」
「だって、ちゃんぽんと生姜焼きだよ」
 私は日に焼けたメニューを指差して訴える。
 午後二時近いせいか、大学食堂・・・

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放浪屋台

13/06/17 コメント:0件 四島トイ 閲覧数:1411

 これは意地なのだと思う。
 そうだ。職業人としての意地だ。役立たずとか、偉そうとか、口だけなんていう不名誉をゼロにする意地だ。
 石段を一歩一歩踏みしめながら、強くそう思った。握り締める鞄の持ち手が軽く汗ばむ。不意に、竹林を抜けた風がわたしを横切った。先週切ったばかりの前髪が揺れる。昼間の熱を宿した土の香り。夏の夜の匂いが鼻腔をくすぐる。そのなかに微かに塩気を含んだ匂いが混ざる。ラー・・・

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後姿が掻き口説く

13/05/19 コメント:0件 四島トイ 閲覧数:1354

 新入生の村井由香がいじめられているらしい、と感じたのは五月に入ってからだった。同じクラスの派手目な女子達が中心になって巧妙に「浮かせて」いるようだった。入学早々、ご苦労なことだ。女子の結束は恐ろしい。目の前の出来事にそう感想付けて、俺は己が男であることに少し安堵した。
 だからこそ、ある日の放課後、鍵のかかった技術情報室の前にぽつん、と立つ後姿に動揺した。
「何やってんだ」
 ・・・

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写真

13/04/22 コメント:5件 四島トイ 閲覧数:1474

「この写真を所望とは、お目が高い」
 大福のように白くて丸い男が、口の端を吊り上げた。
「何せ一代前の雷門の大提灯が写ってるんだから。しかし御覧の通り写真は一枚。あんたらは二人。どちらかが譲るかね。いや、譲る気があるなら初めから棚を挟んで取り合わんか。失敬失敬」
 ほっほと笑うその顔に、こっそりと舌打ちする。性悪の男に頭を下げるほど嫌なこともあるまい。ついでに苛々しながら、横に立・・・

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財布初心者

13/03/12 コメント:6件 四島トイ 閲覧数:2300

 ぱたぱたと財布を開けては閉める。寝そべる畳からは、かすかにい草の香り。落ち着かないまま頭をずらせば、大きく開かれた窓の向こうに八月の白い雲が見えた。
 車が砂利を踏む音がする。エンジン音が止んで、玄関の戸が引かれた。
「おうい。迎え行ってきたがぞお」
 兄を迎えに行っていた父の声が響く。
 来た。ぱっと立ち上がり、階段を駆け下りる。玄関では家族に出迎えられて兄が荷を下ろし・・・

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あるサーカス団員の死

13/03/03 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:1616

「その推理は間違っている」
 私の声に部屋中が静止した。探偵役を買って出たラトが顔をしかめるが、構わず続ける。
「エレは、ピグを殺していない」
 ラトは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「レオ。君が同じサーカス団員を庇いたいのはわかる。だが死んだピグだって団員だろ」
「ああ」
「なら、事実を受け入れるべきだ。僕みたいなちっぽけな奴が言うことでも」
 そう吐き捨て・・・

1

夢に見るしろくま

13/02/25 コメント:2件 四島トイ 閲覧数:1471

 夢を見た。
 二本足で立つ白熊が、手を振っている夢。
 白熊は私の古い友人だ。きっと今、どこか遠くへ行っている。だから私には、その光景が別離の間際なのか、再会の瞬間なのか判然としない。ただそこは空気の綺麗な氷原で、白熊は少し離れた流氷の上に立っていた。
 その判然としない何かのために、私は泣いてしまう。
 目を覚ますと、目尻からスーッと静かに涙が伝う。
 月曜日の朝・・・

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雛の作法

13/02/19 コメント:0件 四島トイ 閲覧数:1292

 女の子のお祭りなんだから、と母は肩越しに言った。
「だからそんなに膨れっ面しないの」
 着物の帯を整えながら、鏡に映る私に困ったように笑いかける。
「だってそれって私がまだ子どもってことでしょう」
 人形のように着付けられていく自分の姿。日常からかけ離れた鮮やかな色彩が、まるで幼さの烙印のように目にちらつく。
「あら素敵じゃない。お母さんには羨ましいくらい」
・・・

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バレンタインのペテン師たち

13/02/11 コメント:0件 四島トイ 閲覧数:1481

「あの人どうですか」
「駄目だな」
「なら、看板見てる癖毛の人は」
「まったく駄目」
「……社長、ダメしか言わないなら自分で探してくださいよ」
 むくれながら振り返る。社長が、若い女性店員からカップを受け取っていた。
「いや、ここのコーヒーは格別ですよ」
「ふふ。可愛い彼女さんと御一緒だからじゃないですか」
「部下みたいなもんですよこいつは。お姉さん・・・

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船出の汽笛

13/02/02 コメント:6件 四島トイ 閲覧数:1657

 二列向こうの右斜め前に初島咲の落ち着きのない背中が見える。
 昨日まではこの背中を遮るように、八丈がいた。野球部のセンターで、背が高く、声が太く、頭は悪いが気のいい、幼馴染の八丈豊。全校生徒七十人のこの離島の高校で、最も気の合う親友。
 島を出ると言った奴の席が今はひっそりと空白を抱えている。
「ほんじゃあ、終礼やるぞお。明日から春休みで、お前達もいよいよ三年なわけだが」

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餞のトラッド

13/01/21 コメント:5件 四島トイ 閲覧数:1632

 杉林の向こうから笛の音をかすかに感じた。足を止め、一呼吸おいて耳を澄ます。春の風がくぐり抜けていく他には虫の声もしない。ナイロン製のケースを背負い直す。
 どさり、という音に振り返る。石段の踊り場に女が一人、腰を下ろしていた。脇に置いたスーツケースの金具が三月の木漏れ日を反射して柔らかく光っている。
「どうしたー」
「見てのとおり。あんたの可愛い幼馴染が疲れてぐったりしてるのよ・・・

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シュガーインコーヒー

12/11/02 コメント:3件 四島トイ 閲覧数:2022

 エチオピアのアビシニア高原、と不貞腐れたように後輩女子が呟いた。
「何の話だ」
「修学旅行の話です」
 放課後の美術室。向かいに座る同じ美術部の後輩。高校一年生の東堂が画布の表面を長い指で撫でる。
「ちょっと待て。俺たち三年が修学旅行で京都に行くのありきたりだとって話だよな」
「そうです」
「で、どこならいいと」
「エチオピアの」
「わかった。もう・・・

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泥棒猫と早朝のキッチン

12/08/15 コメント:1件 四島トイ 閲覧数:1508

 早朝の厨房の片隅で若者が息を凝らしている。
 彼はパン焼き職人だ。腕は悪くないものの極めて秀でた何かがあるわけでもない。ごく平凡な、小麦畑に囲まれた小さな町の小さなパン屋の店主だ。
 そんな彼の前で奇妙なことが起こるようになったのは数日前からのこと。
 毎朝、用意したパン生地がいくつか消えている。クロワッサンにフィセル、バタールやちょっとした調理パンも無くなっていた。
 ・・・

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