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汐月夜空さん

切ない話が好きな空想好きです。 なんでもない日常がなんでもある日常に変わる物語を読んだり書いたりするのが特に好きです。 ブログの方でも小説やエッセイ、ネタなどを書いておりますので、よければどうぞ。 twitterの方は私生活も含めて好き放題呟いてますので、汐月夜空のことが気になる方フォローお願いします。 ブログ:http://ameblo.jp/shiotsuki-yozora/ twitter:https://twitter.com/YozoraShiotsuki

出没地 思い立てばどこにでも
趣味 トランペット 小説創作
職業 社会3年目
性別 男性
将来の夢 物書き
座右の銘 日々前進

投稿済みの記事一覧

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私の命は――

17/01/05 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:202

『いい、晶子』
 小学校低学年の放課後、待ち合わせ場所での母の言葉。
『占術師はね、決して嘘をついてはいけないんだ』
 それは、遥か先祖から占術師を継ぐ我が清水家に語り継がれる家訓の一つ。
 幼少の頃から優しい声音で重ねられたそれは、雪のように柔らかく私の身体を満たした。
『かと言って、占術の結果をそのまま伝えれば良いわけじゃない』
『嘘が駄目なら、本当のことを・・・

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人生を変える5分間

16/12/29 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:220

 あの日、ぼくは学校の行事のために2年間乗り続けていた電車よりも1本早い電車に乗った。
 そこで彼女を初めて見たとき、ぼくの頭は彼女でいっぱいになった。
 白い。とにかく肌が白い。小さな顔も、膝丈のスカートから伸びる細い足も淡雪のようだ。浅く茶色に染めた肩までの真直ぐな髪が柔らかな朝日を浴びて透き通っている。
(……こんなにかわいい人が居るんだ)
 思わず感嘆のため息をつい・・・

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サンタの仕事

16/12/19 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:249

気になるあの方へ独占取材!!
本日はこの時期と言えばこの人。サンタさんにお尋ねしてみました。

――さて、早速ではございますが、まずは自己紹介からお願いいたします。もはや説明するまでもないとは思いますが、我々の知らない肩書もあるとか。
「はい、私は17世紀の歴史を持ちます株式会社サンタクロースの代表取締役サンタです。サンタにつきましては先代から屋号を引き継ぎまして、私で60・・・

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想像の絵 真実の姿

16/11/30 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:288

「本日はご鑑賞していただき、ありがとうございます。ボクの個展はいかがでしたか?」
 酔った気まぐれで入った小さな個展。その出口前で柔和な笑顔で俺に話しかけたのは、地味な男だった。
 男はどこにでも居るスーツで眼鏡の若造という印象で、個展で見た絵と同じ――
「地味、の一言だった」
 俺がそう答えると、男は鳩が豆鉄砲を食ったような表情で俺を見つめて聞いた。
「そう、でした・・・

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綺麗な夢に、さよならを

16/11/13 コメント:1件 汐月夜空 閲覧数:261

 私が見る世界と彼が見る世界は違う。
 憧れと諦めが淹れたてのカフェオレのように混じる、甘くて苦いその感情を、真紀は和樹と過ごした2年の間に感じない日はなかった。



 いつだって、私と彼は同じことを異なることと感じていた。例えば丘の展望台から、私が綺麗と言った夕暮れの山間を、彼は可能性だと言った。意味が分からない私が尋ねると、彼は右手を自分の顎に当て、少しの間目を・・・

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甘夏の香り

16/05/23 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:456

「これはレモンですか?」
 彼女は、この香りの正体が分かっているのにそう言った。
「いいえ、夏みかんです。懐かしいね。昔、授業でやったよ。なんてタイトルだっけ?」
 冷蔵庫から麦茶を取り出して、グラスにそれを注いで彼女に渡す。彼女はありがとう、
と笑顔でそれを受け取った。
「『白いぼうし』、ってタイトルだったと思う。タクシー運転手の松井さんが経験した、夏みかんのように・・・

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私の塗り絵

16/05/09 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:588

 お気に入りのデパートの最上階に大きな本屋がある。私は取り立てて本を読むタイプの人間ではないのだが、それでもデパートに用事がある際には、何かしらこの本屋に寄ることを常としている。
 そんな私が今日、目に留めたもの、それが『大人の塗り絵』シリーズだ。幾何学模様から生物まで、精緻で美しい線画が描かれている表紙が気になって、思わず手に取りページを開いたが、モノクロの世界が白い紙の上に所狭しと並んで・・・

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君の二つ名は〇〇だ

15/11/30 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:552

「私は『個性』というものを大事にします」
 そんなマニフェストを掲げていた政治家が、国のトップに立ったのは、つい先日のことだった。誰かが右を向けば、誰もが右を向く。この国の皆はきっとそんな没個性社会にうんざりしていたんだろう。誰もが彼の言うことを疑わず、より良い社会を目指して賛成した。
 彼が施行した『マイネーム法』がこの国を大きく変えることになる。この法の概略を簡単に説明すると以下の・・・

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メッセージボトル

15/04/28 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:803

 そのボトルを見つけたのは偶然だった。
 夕焼けから伸びる茜色の光を浴びて、波間に一際輝くそれを私は浜から見つけた。ここは浜辺の街シュトラント――海に漂流物があるのは珍しいことでもないから特に思うことは無かったけれど、なぜか気になったそれを私は泳いで取りにいくことにしたのだった。
「……ぷはっ」
 真昼の熱さを溜め込んだ温かな海をひと泳ぎ。目的のボトルのところにたどり着いたところ・・・

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青 澄み渡り

15/04/24 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:803

 身体を水面に横たえ、見る、青い青い空。
 凪いだ海。時が止まったように静かな世界に、一人。
 私は息をするように、私の存在意義を発するのです。

『ah―――――』
 
 その振動、その呼吸に合わせ、水面は緩やかに波打ち、私を中心に綺麗な波紋を広げます。それは光を反射して、きっと空の上から見れば私の居る所に何かを投じたように見えることでしょう。私はそれを想像し・・・

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三匹の子豚あらため!

15/04/20 コメント:4件 汐月夜空 閲覧数:780

「勝喜、三匹の子豚という童話があるだろ? あれって実にナンセンスな話だと思わないか?」
「なんだよ瑠璃、藪から棒に」

 放課後の図書館。
 8段脚立のてっぺんに座る瑠璃。決して上を見ないようにその脚立を支える勝喜。他には誰も居ない図書館の中に瑠璃が捲る本の音と二人の声だけが響く。

「なんだい、藪からス〇ィックだって?」
「勝手に人の言葉を〇ー語に変換す・・・

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置き手紙

15/04/05 コメント:4件 汐月夜空 閲覧数:739

『→千沙 幸子

 突然のことだが
 父さんが夜勤(17時〜2時)
 母さんが朝勤(5時〜14時)
 幸子は学校(8時〜20時)
 ということで一か月の間一家全員がほとんど
 すれ違い生活を送ることになった
 このままでは一家離散(!?)の可能性があるため、
 置手紙ルールを提案しようと思う

 1、書き出しは →宛先
 2、・・・

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相談屋の気概

15/04/05 コメント:4件 汐月夜空 閲覧数:788

『いいか、ケイジロウ。相談屋にとって大事なことは――』
「分かってるよ父さん。僕は兄さんのようにはならない」
 それじゃ、行ってきます。
 僕は父の写真の前から立ち上がる。鏡の前でネクタイをもう一度締め直し、ようやく履き慣れてきた革靴を履いて玄関の扉を開けた。天気は生憎の曇天。少し迷いつつも落ち着いた黒地の傘を持って僕は外へと出る。
 さて、今日の依頼は新宿駅のコーヒー店で・・・

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春夏秋冬

15/04/03 コメント:7件 汐月夜空 閲覧数:925

 春
 今よりもずっと小さな私
 土や花 生命のすべてを宿したような春の香りを胸いっぱいに吸い込んで
 せせらぎ聞こえる用水路 そこに流れる花びらを飽きもせず眺めた
 路傍に転がる石を家に帰るまで蹴飛ばして
 友人と中身も無いことを語り合った
 例え家までの僅かな距離だって 誰かと別れるのがたまらなく寂しくて
 時にはヒメオドリコソウの蜜を吸い オオイヌノ・・・

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サンセットアイズ

15/03/23 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:786

『それを食べるつもり?』
 委縮する。今、自分が禁忌に触れている自覚があった。だから、その咎めの言葉に罪の意識を持つと同時に安堵もした。
 だが、今の言葉はどこから聞こえた。果たして人の言葉だったろうか。暗い夜道で何かの拍子に鳴る草木のような印象を受けた。正体不明で妙に心をざわつかせる。そのくせ、弦を弾くように繊細で艶のある美しい声だった。
『後ろよ』
 辺りを見回していた・・・

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悪夢のささやかな嫉妬

15/03/11 コメント:4件 汐月夜空 閲覧数:881

 悪。私はこの言葉が大嫌いです。
 私は人々に『悪夢』と呼ばれる存在。今日も安らかで柔らかな眠りにもぐりこんでは、あなたの中で眠っている激情を揺さぶりささやかな覚醒へと導きます。
 私、前にもあなたに会ったことがありますよね? 今だから言えますが、あなたがバクバクと鳴る鼓動と漠々とした思いで目を覚ます時、私はあなたの瞼の裏でひっそりと隠れていたのです。
 何ですか? 迷惑ですって・・・

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自分勝手な思いと叫び

14/11/24 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:793

 見てはいけない。
 分かっているのに。どうして。
 まるで麻薬の中毒患者のよう。
 忘れたいのに、忘れられない。
 これは公表されているものだから。調べれば誰でも見れるものだから。そんな言い訳を胸に、僕はまた見てしまうんだ。
 画面の中に浮かぶ、何気ない一言を。


『おはよう、みんな』
『ああ、またやっちゃった』
『疲れたなあ』

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寄生画 『生命の起源』

14/11/09 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:811

「Aさん、今日こそお見せくださらない? あなたが持っているというあの絵」
「いやはや、なんのことですかな、E嬢」
 グラスが響く静かな夜。私は以前から何度もアプローチをしてきた資産家のAに迫っていた。信頼を得るために出来ることはなんでもやった。見るからに打ち解けてきたAの態度に今ならばいけると踏んで、私は狙っていた作品の鑑賞を持ちかけたのだった。
「もう、とぼけないで。私、知って・・・

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私はここにいる

14/07/30 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:601

「すべての生き物は自ら光るか、もしくは何らかの光を浴びて輝く。鈴、それはなぜだと思う?」
 スタジオから家に向かって夜道を歩く。隣の祥子がそう尋ねた。私は蒸し暑い夜の空気を扇いで答えない。
「答えは簡単よ。私たちは皆、自分がここに居ることを証明するため、そのためだけに輝くの」
 街灯が広い間隔を空けて続く暗く細い道。私はこの道が嫌いだけれど、祥子はいつも楽しそうにこの道を歩く。く・・・

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涙が枯れるまで

14/07/14 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:649

 汚い、と思った。
 額に滲む汗も、繋いだ口から滴る涎も。
 そう思ったら、もう無理だった。
 決定的な出来事なんかなかった。
 だから、悪いのは私だ。沢木、あなたじゃない。
「沙良」
 沢木が不思議そうに私の名を呼んだ。あなたを振り払った女の名を。
 おずおずと彼の手が伸びてくる。否定しないでくれ、と聞こえるような慎重さで。
「ごめんなさい」

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今ここにある石

14/06/15 コメント:4件 汐月夜空 閲覧数:697

 2ndパートを吹きはじめてもうどれくらいになるだろう。
 演奏会が始まる前に、僕はいつものようにトランペットにオイルを注し、ピストンをコトコト鳴らして調子を測る。
 周りでは同じようにルーチンワークをするメンバーが居る。目を閉じて瞑想する者、周りに声をかける者、足でリズムを取って頭の中で練習する者。それぞれやり方は違えど、緊張をほぐすために集中を図るのは変わらない。
 電波時計・・・

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恋の予感

14/04/29 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:671

「お母さんはどうしてお父さんを選んだの?」
 夕日が差し込んでいた。既に取り込まれたバスタオルが橙色に染まる。
 残された洗濯物を白いエプロンを着た母が腕に抱えた。私は、制服のまま縁側の柱に寄りかかり、足をぶらぶらさせながら、思い立ってそう尋ねた。
「うふふ、なあに、急に」
 母は笑いじわが目立つ顔を、さらに破顔させて私の元に戻ってきた。
「あら、涼子、洗濯物畳んでお・・・

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この辺を外したい

14/02/03 コメント:4件 汐月夜空 閲覧数:1062

 その日誠は、大好きなカラオケの最中にも関わらず帰りたかった。

 なんてことはない。ささいなことだった。
 誠が栞を好きになったのは出会ってすぐのこと。
 彼女の声が好きで、その声を聞くたびにときめく自分の心に気付いたからだった。
 その声を聞きたくて。もっともっと聞きたくて。一生懸命話しかけて、仲良くなって、君のことが好きです、と想いの丈を伝えた。
 結果は・・・

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時代の変わる時

14/01/26 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:705

 平成生まれのぼくは、昭和を知らない。
 もちろん、言葉の雰囲気は知っている。近くで言えばぼくの親だって、学校の先生や先輩だって昭和生まれだ。でも、ぼくにとってのそれは『平成生まれではない人』というくくりであって、その時代のことを知っているわけではない。
 また、逆のことだって言える。昭和生まれの先輩はぼくのことを『昭和生まれではない人』として認識しているはずだ。平成生まれの人としてで・・・

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青い鳥を探して

14/01/13 コメント:5件 汐月夜空 閲覧数:907

「じゃあ、青い鳥を探してくるね」
「うん、気を付けて行ってらっしゃい。楽しんできてね。ほら、かっちゃん、お母さんに行ってらっしゃいのご挨拶」
 玄関の扉を開けると、屋根と屋根の間を縫ってどこまでも澄んだ水色が広がった。肌を刺す寒さに息を吐き出すと、白煙が渦を巻いて登っていく。
 今日はいい天気だ。
 辺りに積もった雪に反射した強すぎる太陽の光に慣れるように半分目を閉じながら・・・

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ソラ

14/01/02 コメント:10件 汐月夜空 閲覧数:928

「今日も綺麗な青空だねえ、ソラ」
 ソラ、それが僕の名前。
 捨て猫だった僕にとって、大事な家族の聡子おばあちゃんがつけてくれた大切な名前だ。
 おばあちゃんはいつも日差しの暖かな縁側に腰掛けて、こう言っては僕を撫でてくれていたから、自分の名前がソラだということを覚えることは簡単だった。だけど、アオゾラと呼ばれているものが何なのかを理解することは出来なかった。
 おばあちゃ・・・

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夢と現実の狭間

13/12/30 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:744

「よう、てっちゃん、おはようさん。機嫌はどうだい?」
 懐かしい声を聴いて目が覚めた。長く瞑られていた眉を持ち上げると、窓からの眩しい日差しに瞳を焼かれる。私は慌てて目を閉じて、ベッドの傍に座っていた男に声をかけた。
「こうちゃん?」
「ああ、そうだよ、てっちゃん。ご無沙汰して悪かったな。かつての同窓会以来じゃないか?」
 かかか、と年相応の陽気な笑い声を立てるこうちゃん。・・・

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心の天気

13/12/16 コメント:3件 汐月夜空 閲覧数:836

 祖父のことはあまりよく覚えていない。
 けれど、いつもにこにこと笑っていたことや、その顔がとても暖かだったことは、祖父が亡くなってから13年が経つ今でも忘れることは出来ない。
 特に、その顔のまま『よく来てくれたねえ、勝』と父の名前で呼ばれた衝撃は、生涯において忘れることは出来ないだろう。
 いや、ひょっとしたらそんな古傷のように疼くバツの悪い思いさえも、あの病気は綺麗に隠して・・・

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俺が復讐したかったのは

13/12/02 コメント:1件 汐月夜空 閲覧数:902

 銃弾の嵐が頭上を通り過ぎていく。僕は恐怖で震える右手を左手でなんとか支え、名前も知らない銃を握りしめた。冷たいグリップはゲームセンターのガンゲームのそれとは違って少しも手に馴染まない。
 どうしてこんなことになったんだ。自分が発する、短く、笛のように鳴る呼吸音を遠くに感じながら、僕はわずか一分前の出来事を振り返った。ことの始まりは、大学生らしくゲームセンターでオールをして帰路についた、深夜・・・

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隣の彼女は甘いだけ

13/11/18 コメント:1件 汐月夜空 閲覧数:960

「おお! なんていう素晴らしいものをお持ちなんだ! 見たかよコウヘイ!」
 お昼のショッピングモールで、落ち着いて昼食に臨めるレストランを探して早一時間。やっぱりこの時間帯のレストランで落ち着こうとする方が間違っているんだよなあ、とうんざりしている康平の横で平次はテンションマックスではしゃぎまくっていた。
 平次の視線の先は、もうすぐ冬だというのに胸元までがっつりと空いた、大学生くらい・・・

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幸せの大福

13/11/17 コメント:1件 汐月夜空 閲覧数:865

 昔々、里から遠く離れたあるところに、三人の若い兄弟が居た。
 長男はせっかち者で、楽しいことはすぐに実行しないと気が済まない男だった。
 次男は計画上手。酸いも甘いも計画通りに行わないと気が済まない男だった。
 三男はのんびり者。楽しいことは最後まで取っておく男だった。
 そんな三人のところに唐突に神様が現れることから物語は始まる。


「それで、この大・・・

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真実は

13/11/04 コメント:6件 汐月夜空 閲覧数:1025

「あれ、こんなところでどうしたの、お兄ちゃん」
「わあっ! ……なんだ、人間か。えっと、君は?」
 日が沈んでから随分と経つ。月明かりは森の中まで届かないようで、足元は何も見えない。それでも、天を覆う葉の影が分かるほどには目が慣れたようで、変わり映えしない闇の中を僕は何にぶつかることもなく歩み続けていた。踏みしめるたびにぴきぱきと鳴る枝にドキドキしながら。
 その時、突然茂みの奥・・・

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恋して、愛されて

13/10/21 コメント:5件 汐月夜空 閲覧数:1053

 秋の風が吹く。素肌にやや冷たいその風は、編みたての朱色のセーターに阻まれて暖かだ。でこぼこと穴が開いていて不格好なものだけど、きちんと仕事は果たしてくれている。
 僕は鱗雲に覆われ、ひび割れたような空の下、強すぎない太陽の光を受けながらベンチの上で座っていた。公園を彩る紅葉の進んだ銀杏が、辺りを黄色い海原に染めている。それをこうしてのんびりと眺めるのは一週間に一度の休養としては中々の贅沢だ・・・

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止まった私、進む彼

13/10/20 コメント:5件 汐月夜空 閲覧数:1179

 音が響いていた。秒針の刻み、電化製品の唸り、そして私の右手と、彼の左手。
 背中合わせに伝う彼の鼓動と体温に、まるで一体となったかのように錯覚しながらも、私の手は彼の手と同様に色とりどりの色鉛筆を、イーゼルの上のスケッチブックへと走らせ続ける。
 鉛筆が走るたびに、私の目の前には青く清潔な湖上で向かい合う2匹の白鳥の姿が浮かび上がっていく。掘り出し、削り出すように、大切に白鳥の周りに・・・

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夜を駆けるタイムマシン

13/10/18 コメント:9件 汐月夜空 閲覧数:1248

 かたたん、こととん。規則正しく音色を奏でて電車が駆ける。
 私はそれを近くの草原から眺めている。風を切り光を漏らす箱が滑るように近づき、遠ざかっていくのを。低くなっていく車輪の音が消えるまで、少し肌寒い秋の夜風に身体の芯が染まるまで、薙いだ草のざわめきが凪いで静かに閉じるまで。
 夜の電車を眺めるのが好きだ。外観が好きなのではなく、眺めるうちに電車の中の光景を想い浮かべることが。想像・・・

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夢は覚めるから夢なのだ

13/10/07 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1124

「なぜ君はそんなに彼女に入れ込むんだい?」
 齢40。振り返れば、止まることなくただまっすぐにアイドルに傾倒する人生だった。その中で、一人のアイドルを長期に渡って追いかけていると、このような言葉をかけられることがよくある。それは同じファンからであったり、アイドル側のスタッフからであったりするが、意図することは同じことだ。
『君は彼女だけに入れ込む今が怖くないのかい?』
 その一点・・・

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欲しがる者は

13/09/23 コメント:1件 汐月夜空 閲覧数:1047

「あー、良い男いないかなあ」
 深夜のファミレス。また君が僕の目の前でそう言った。
 そうだね。僕はきっと良い男じゃないんだね。少なくても君にとっては。
 そんな当たり前なことに幾度となく傷つきながら、僕は君の待つ言葉を投げかける。
『大丈夫だよ。君はかわいいから』
『すぐ良い人が見つかるって。僕が保障する』
『でも、君の周りに居るやつは本当に見る目がないから大・・・

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真のライバルは

13/09/09 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:945

「君、名前は?」
「四十山翔です。円谷中、一年の」
「へえ、円谷中の。良い名前だね。それで、なんだっけ?」
「俺に、どうしてそんなに速く走れるのか、その秘訣を教えて欲しいんです」
 目の前で頭から水をかぶっていた早月中の三年、御影悟に相対しながら、競技中の水飲み場には人が少ないことを、翔は初めて知った。
 壁の向こうの競技場から、歓声とピストルが遠くに聞こえる。ばちゃ・・・

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神様なんていない

13/08/26 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1012

 自分に近寄ってきた人すべてが神様、か。
 初めて慧からそれを聞いたとき、私は笑顔をそのままに内心そんな馬鹿な話があるかと思った。
 私は無神論者だ。信仰しているものも特にない。強いて言うなら信じているのは自分だけだ。
 そのことについて今更特に何かを思うようなこともない。今の時代そんなことは珍しくないからだ。周りに溢れる同主義者たちによって、疑問を感じることもない日々を送ってい・・・

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ヴェールを上げて

13/08/26 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1078

「君を僕の友人にしよう。君はこれから神の友だ」
 昔、地元の青の洞窟の中で、藍色の甚平を着た神様がそう言った。
 私は、幼い頃から友達なんてものを見たことがなかった。居たことが、無かったから。
 私にとって友達はある意味神様よりも遠い存在で、それこそ幻のような言葉だった。
 だけど、私はその日、その両方を『見た』ことになる。
 神様はその後、こう言った。
「人の・・・

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成り代わり

13/08/10 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1240

 僕の家は、海に面した小高い丘の上にある。
 窓の外には青い海と白い波、海鳥の鳴く声と潮風の香りが広がる、正に絶好の立地。
 にもかかわらず、悩みはやはり尽きぬもので。
 その一つが、これ。庭にある井戸のような覗き穴。
 この穴の先は神様が居るという洞穴に繋がっていて、その洞穴というのが月明かりによって青色に水が光るという珍しい特徴を持っている。
 そんな夢のような光・・・

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無口な少年と歌唄いの少女

13/08/05 コメント:5件 汐月夜空 閲覧数:1265

 少年には生まれつき、口が無かった。
 鼻から下にはゆで卵のようにつるりと起伏のない肌が存在するのみであり、幼少のころよりそれをもとに周りの人に迫害されることが多かった。
 五感の内の味覚が存在せず、常に鼻にチューブを刺して必要最低限の栄養を摂る少年は、しかし、幸いにも優しい両親のかばい立てもあり、心だけは素直でまっすぐな人間へと育った。
 なんとかして他人と円滑なコミュニケーシ・・・

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幕間物語

13/07/27 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:1719

 扉を開けるとそこは真っ白な空間だった。
 影という影も、光という光もなく、ただ何もないその空間の真ん中に。
 薄いクリーム色をしたロココ調のテーブルと同じ色をした二脚の椅子。
 右手側のその椅子に腰かけた、存在感が薄くぼやけているような男が。
 銀色のティーポットからブラウンの液体をティーカップに注ぎ、言った。
「やあ、よくここまで来てくれたね。座ってくれ」
・・・

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もうはなさないで

13/07/17 コメント:4件 汐月夜空 閲覧数:1094

 華の金曜日の夜はどこの居酒屋も人でいっぱいだ。
 ピンポンと、遠くで呼び出しのベルが鳴り響いては、女性店員が元気よく駆けていく。
 そんな笑い声、囁き声、統一性のない感情が籠ったガヤガヤとした喧噪の中。
「兄ちゃん、良く見る顔だけど、奥さんと喧嘩でもしたのかい?」
 左隣に座ったスキンヘッドの男が満面の笑みを浮かべながら僕に声をかけてきた。
「……ええ、まあ、そんな・・・

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普通の探偵

13/07/08 コメント:4件 汐月夜空 閲覧数:1298

「また猫探し? この暑いのに飽きないね」
「おや、そういう君は貴志君。この時間にここに居るということは、今日はテストだったんですね? いかがでしたか?」
 アブラゼミが騒ぎ立てる真夏の昼下がり、差し込む強い日光に反射して他のどの季節よりも緑が濃いシダレヤナギの並木の下で。
 麦わら帽にくたびれた白いワイシャツ、迷彩柄の短パン、右手で大きな青色の網を振り回す男が一人「ミミさーん! ・・・

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先の見えない世界の中で

13/06/09 コメント:5件 汐月夜空 閲覧数:1460

 ピピピピピ。
 カーテンの隙間から陽光が差し込む午前六時。
 僕は五時から間隔を空けてなり続ける目覚まし時計の息の根を止めて、重たい身体を起こした。
 枕元に置いた眼鏡を寝ぼけ眼にするりとかけて、洗面所へと向かう。途中でダイニングキッチンのテレビのスイッチを入れるのを忘れない。途端に賑わうニュースを後ろ耳に聴きながら、僕は蛇口から流れるぬるい水で顔を洗った。少しは眠気がましにな・・・

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屈辱の初出勤

13/05/19 コメント:3件 汐月夜空 閲覧数:1328

「失礼いたしますわ」
(ああ! もう腹が立つ! 屈辱! 屈辱!! 屈辱!!!)
 ミイは心の中で怒りを燃やしながら、目の前の客(断じてお客様とは呼ばない)のグラスになにやら名の知れたシャンパンを注ぐ。
 その顔には笑み。それも、揺らぐことのない極上の笑みが張り付いている、はずだ。
 しかし、それでも。
「チェンジで」
 ミイにとって本日三人目となる客から無慈悲な・・・

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結果と過程

13/05/05 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1210

 私と彼の出会いは運命で。
 私と彼が居眠りトラックの事故に巻き込まれたのも運命で。
 彼のサッカー選手としての生命が断たれたことも運命で。

 ――ねえ、運命。そんなに欲張らないでさ。
 1つくらい変わっちゃくれないかい?
 代わりに私を、どうしてくれたって良いからさ。



 * *


 カラ、カラ、カラ。乳母車の・・・

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謝罪と感謝

13/04/30 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:1377

「本当に、届くんじゃろうな?」
 一枚の便箋を手渡しながら、わしは今一度目の前の若い男に問いかける。
「ええ。間違いなくお届けします。それが私の仕事ですから」
 男はそう言って頷くと、おもむろに便箋から不格好にたたまれた手紙を取り出して中身に目を通し始める。
「っ……」
 わしはそれが恥ずかしくて顔を背けた。自分が書いたことが誰に見られたところで大した意味を持たないこ・・・

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時の事業 タイムレター

13/04/18 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1261

 タイムレターというものが存在する。
 それは今より幾何か先の時代、一人の男が立ち上げた郵便事業のことを指す。
 簡単に言えばタイムレターとは誰もが経験出来る時間跳躍法のことであり、それはつまり、人類は未来においてタイムマシンの開発に成功していることを物語っている。
 しかし、現代においてタイムトラベラーはその男の他にただ一人として存在しない。タイムマシンが存在する時代を守るため・・・

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財布と貯金肉

13/03/27 コメント:4件 汐月夜空 閲覧数:1338

 午前中の仕事が思ったよりも長引いてしまった。
 午後の始業のベルとともに直属の上司から昼休憩の許可をいただいた私は、重たい作業着を脱ぎ捨てて昼下がりの食堂へと訪れた。
 本来の解放時刻を過ぎた食堂の中は、見るからにがらんとした雰囲気を醸し出している。私と同じようにやむを得ぬ事情で昼食が遅れた者たちがまばらに座るテーブルと、厨房の奥から響くおばちゃんたちの談笑から新鮮さを感じる。普段私・・・

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コノ世界カラ架空ガ消エタ理由

13/03/16 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:2331

 黄昏色に染まった世界をチーコとシリエが歩く。
 草原を抜け、入り組んだ森を抜け、一本の大樹のふもとを目指して。
 二人は懸命に歩みを進めていく。
 いつからだろう。チャポン、チャポン、とチーコの腰元に下がるひょうたんの音だけが二人の空間を満たしているのは。
 会話らしい会話なんてとっくの昔になくなっていた。どちらかがよろけたり、転んだりしない限り、チーコとシリエは言葉も交・・・

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ソロモンのピエロ

13/03/09 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:1380

「アハハ、マタ失敗デース、ゴメンナサイ」
 火の輪くぐりに挑戦したピエロが、前宙に失敗し勢いよく頭から地面へと落ちた。
 非常に痛そうな音が鳴ったのだが、失敗を悪びれないひょうきんな態度に会場からドッと笑いが起きる。
 ピエロは照れ隠しにジャグリングのピンを三本取り出し、空中にひょいひょいひょいっと放り投げると、それらの一本をマイクにしながらくるくるとそれらを回転させていく。

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恋率試験

13/02/23 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:1416

「ああっ、くそっ! あの時……、あの時に、告白さえしていればっ!」
「……お前、そればっかだね。今回はどうしたの?」

 ぼくの部屋に入るなり叫びだす勇太。どうでもいいけど、いくら隣に住んでる幼馴染だからって窓から急に入ってくるのはそろそろ卒業してほしいなと思う今日この頃。ぼく達もう高校三年生だよ?

「聞いてくれよトウジ! アユミに彼氏が出来たらしいんだよ!」

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脚本彼女

13/02/17 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:1331

「……なあ」
 温度計は22℃を指していた。適温なはずなのに、なんだか肌寒く感じる。
 かちゃかちゃ、と皿を洗う無機質な音が響くダイニングキッチンで、中身のないニュースを流し見していた俺は、ついに心を決めて彼女に向かって声を絞り出した。
「待って」
 すかさず、彼女がそれを止める。でも、皿を洗う手は止めない。こちらの方へも振り向かない。
 俺は臆病に萎れそうになる心を・・・

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思いを込めて

13/02/03 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1262

 机の上には生クリームとチョコレート、そしてブランデーとオレンジキュラソー、さらにハート型や星型などのかわいらしい金型が並んでいる。
 私はそれらを眺めてため息をつく。自然と今日学校でトモミとの会話を思い出していた。

『――ミキも作るんでしょ、チョコレート』
 放課後、男子も女子も明日のバレンタインの話題で持ちきりの教室の中で急にトモミがそう声をかけてきた。
『ええ・・・

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宇宙船地球号

13/02/02 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1525

 初めてこの地球という美しい星が船に例えられたのは、今は昔1879年のことだ。
 アメリカ合衆国の政治経済学者、ヘンリージョージの著『進歩と貧困』の記述の中でね。
 当時、この地球という船には『無限の食糧』があるとされていたんだ。

 地球という船が、宇宙船地球号に変わったのはそれから約一世紀が過ぎた1965年のことだ。
 同じくアメリカ合衆国の建築家であり思想家でも・・・

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霊能力

13/01/21 コメント:4件 汐月夜空 閲覧数:1514

「なあ、お前って霊能力とかあるのか?」
 唐突に切り出され、僕は「霊能力?」と首を傾げた。どうしてこんな話題になったんだろう。思い当たる節がまるでない。
 そもそも、どうして僕はこんなところに居るんだ。無駄に蛍光灯が眩しい店内を見回して、簡素な時計を見つけてから大きなあくびを一つ。もう二時だ、深夜も深夜だよ。
 時間のせいもあるだろうけど、店内の人影はまばらで、それぞれが様々なこ・・・

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思い出サイクル

13/01/13 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1252

「うん、綺麗になった」
 ぱんぱんと手を叩いてほこりを払い、先ほどまでゴミ溜めだった部屋を見回して一言。ちり一つ無いとは言わないけれど、誰が見ても汚いとは言えないレベルまで掃除された部屋の中は、分厚かったカーテンをレースに変えたこともあって、別の部屋に生まれ変わったように明るい。
 12月も終わりだというのに汗ばんだ服と喉の渇きに気付いた僕は、ティータイムを取ることにした。台所で用意し・・・

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気持ちの相違

13/01/04 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1280

「……あれ? シゲが居ない」
 放課後。居残りをして宿題を仕上げてから後ろを振り向くと、いつもバスケの漫画を読みながら待ってくれているシゲの姿が消えていた。荷物もない。
 仰ぎ見た黒板の上の時計は5時を指していた。学校の目の前の牛丼屋でアルバイトをしているシゲだが、まだシフト開始の時刻ではない。となると、シゲの居る場所なんて一つしかなかった。
 シゲの居場所に当たりをつけた僕は荷・・・

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自分だけに出来ること

12/12/31 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:1387

 カランカランッ。
「あれ、ナツミさん。今日はマスター居ないの?」
 雪の積もる白銀の世界から、明るい鈴の音を聞いてほんわかと暖かい店内へ入ると、いつも若いマスターが立っているカウンターの中に常連のナツミの姿があった。
「サカキか。いつも当店を利用してくれてありがとう。あいつなら営業に行ってるよ。私は留守番だ」
 読みかけの本を閉じて、こちらに向かって微笑みかけるナツミ。そ・・・

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文化

12/12/24 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1355

「んーんんーんんんーんーんーんーんーんーんーんー♪」

 大晦日の夜、もうすぐ年も暮れようとしている頃だった。
 大掃除も昼間に終えてしまい、年末の特番を見ようと腰を落ち着けてしばらく。急に、三歳になる息子が、そんな鼻歌を歌いだした。ところどころ音は外しているが、聞き覚えのあるメロディ。
 どうして? という視線を妻に向けると、妻は笑って言った。
「この子、テレビ好き・・・

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想いは神に 愛は君に

12/12/17 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1381

「やあ」
「えっ」
 夜。寒々とした空気に首をすくめながら、軋む扉をこじ開けて家の中に入ると、誰も居ないはずの部屋の中から声をかけられた。
 驚いて声の方を見ると、月明かりにうっすらと照らされた青年の姿があった。妖しげに微笑むその顔はガス炎のように青白く、見るからに人のそれではない。
 けれど、その人ではないはずの顔にぼくは見覚えがあった。
「……じいちゃん?」

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夢の中で

12/12/02 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1465

 街の中を歩いていた。
 街は映画のセットみたいに洋風で、雪が積もっていた。人の居ない、両側の明りが寂しく漏れる家の間を、ぼくは白い息を吐きながら足跡のない雪を踏みしめるようにして歩く。
 ここはどこだろう、とは思わなかった。ただ、この先にぼくのことを待っている人が居ることはなぜか知っていた。
 しばらく歩くと広場に出た。真ん中にふんすいがあって、そこを照らすように明りが向けられ・・・

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その手、この手

12/12/02 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1398

 その手はまだ、暖かい。

『逃げろ、佳奈。早く、逃げろ』

 うわごとのように繰り返される言葉。
 もう逃げる必要なんかないのに。大丈夫だから、とお兄は私へ向かって必死に声をかける。
 その声には優しさと安堵があった。一点の嘆きも感じられなかった。
 私は、突如訪れたその不幸を、まともに受け止めることすらできなかったのに。
 お兄はいとも簡単にそれ・・・

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心の味

12/11/26 コメント:6件 汐月夜空 閲覧数:2189

「……実に不思議だ」
「どういたしましたか、山田さん」
 小春日和のことだった。
 ぱちぱちと静かな音を立てる暖炉横のカウンター席に腰を下ろし、いつものようにカフェ『雫』特製のサイフォン式コーヒーを口にしてから、私は唸るように積年の思いを口にした。
 気品を感じる見事な動作でシルバースプーンを磨いていた若いマスターはそれを聞いて、穏やかに私に微笑みながら尋ねた。
「い・・・

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秘密の味

12/11/20 コメント:4件 汐月夜空 閲覧数:1800

 僕がまだ幼かったころ、コーヒーは大人の飲み物で、秘密の味だった。
「だーめ、これは子供が飲んではいけないものなの。とっても苦いし、眠れなくなってしまうし、身体にだって毒なんだから」
 そう言って、白い湯気と香りの立つコーヒーを母は美味しそうに口へ運んだ。
 なんだよ、大人ばっかり。そんな理由、大人も子供も変わらないじゃないか。それなのに大人だけしか飲めないなんて、そんなの理不尽・・・

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こんな書店はいかが?

12/11/18 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1303

 世の中には実にさまざまな書店がある。
 古本だけを扱っているもの、新書だけを扱っているもの、参考書に力を入れているもの。取り扱う本の種類には、その本屋だけの特性があり、そこを訪れる常連客を満足させている。だからこそ、この世には数多くの本屋が潰しあわずに存在することが出来る。
 以上を踏まえて、今回は私のお気に入りの書店を紹介しようと思う。

 その書店は最寄駅から歩いて五・・・

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fami - less

12/11/03 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:1200

 ファミレスって、何の略?
 綾がマリンドルフィン系列のファミレスに勤め始めてから、早くも三年の月日が流れた。しかし、テーブルにメニューをお届けしているときや、ドリンクバーの原液を足しているちょっとしたときにでも、綾はそれを意識することを忘れない。
 もちろん、三年間もここで勤めてきたのだから、綾だってファミレスの正式名称くらいは知っている。
 ファミレスとはFamily res・・・

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母の笑顔

12/10/23 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1208

「はい、もしもし、佐々木です。……あ、母さん。どうしたの?」
 晩御飯を食べ終えたころ、佐々木家に一本の電話がかかってきた。幸助がそれを取り、すぐに聞きなれた母の声だと気付く。手織物のようにゆっくりと紡がれる少ししわがれた声。
『幸助かい。夜分にごめんねえ。大丈夫だったかい?』
 母の気遣う声に幸助が時計を見ると、二つの針は8時半を示していた。趣味の読書に没頭して、いつも日を跨い・・・

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信じるということ

12/10/20 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1173

「つまり、理香はこう聞きたいわけね。達樹を駅まで迎えに行かないのかって」
 安楽椅子の上で膝に抱いた柴犬を撫でながら、久美は理香にそう言った。
「そうは言わないけど……」
 理香は歯切れの悪い表情を浮かべて否定する。
「そう。それなら別にいいじゃない。私が何を思いどう行動しようが、それは私の勝手だわ。理香がどうこう言うことじゃない。理香が私に向かって言っていいのは、達樹を駅・・・

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映画

12/10/02 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1228

 窓ガラスには黒いごみ袋とガムテープが貼られて遮光処理が施されている。
 外へのドアは鍵がかけられており、そのドアノブには針金が酷く乱雑に巻きつけられていた。
 六畳ほどの狭い部屋の中はジメジメと湿っており、室温も本来の季節は冬なのに初夏を思わせるほどに高い。部屋の天井にぶら下がっている蛍光灯に明りが灯ることはなく、部屋を照らすのは液晶テレビの明りだけ。
 そんな部屋の中に男が一・・・

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流れ星

12/09/30 コメント:1件 汐月夜空 閲覧数:1297

 家を出てすぐの交差点を右に折れ、しばらく先の左手に見える古びたタバコ屋の角を曲がり、くねくねとした山道を半時ほど車で走らせるとある牧場に出る。
 その名を星空牧場と言い、夜空を彩る星座たちを放牧しているかのように、闇夜に光る天然プラネタリウムが売りの、地元に愛されているデートスポットの一つだ。24時までは入り口にある売店でホットドリンクやソフトクリームを買えるのも魅力的。
 私の最近・・・

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夢の中の放浪者

12/09/22 コメント:3件 汐月夜空 閲覧数:1400

 ペンローズの階段というものを御存知だろうか?
 中には御存知ない方もあるかもしれないが、大抵の方は名前を御存知ないだけで、姿を見ればすぐに思い当たるはずのものである。
 あえて言葉で説明するとするならば、ペンローズの階段とは錯視を応用した有名な不可能図形の一つであり、目線で階段を歩んでいくと無限に上り続けてしまう、あるいは逆に下り続けてしまう、終りのない階段のこととなる。
 …・・・

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天邪鬼

12/09/19 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1213

「バイト始めたん」
 蜜柑色の夕焼けが差し込む教室の中、僕は椅子の上で胡坐をかきながら本のページを捲っていた。
「へえ」
 僕の後ろの席ではシゲが僕とは背中合わせで机に腰かけて漫画を読んでいる。明け放った窓からは青春に身を投じる運動部たちの掛け声が聞こえていた。
 『ここに居るよ』『僕はここに居る』、そんな自己主張のように姦しい声が耳に障る。
 あっそう。だから? ど・・・

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眠りのコンビニの2人

12/09/12 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:1305

 人よりも眠りやすい体質だ。
 とは言っても、突発的に眠ってしまうわけではないから、病名があるわけでもない。
 ただ、眠くなるとすぐに瞼が落ちてきて、やがて気付かぬうちに意識を落としてしまう。
 それが、遠距離恋愛をしている彼女との数少ないデートの最中であろうと、首がかかった仕事の最中であろうと、その眠気は何の容赦なく襲ってくる。
 もちろん病気ではないため多少の我慢や自由・・・

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ごみ

12/09/05 コメント:1件 汐月夜空 閲覧数:1439

『ごみ』
『おまえなんかいらない』 
 私が中学二年生の時のことだ。
 母が再婚目前だった男の人と別れることになった。
 原因は隠していた私のことを知られてしまったからだった。
 その日、母は家に帰ってくるなり、血の気の引いた青ざめた表情で、けれど大きく開かれたムンクの叫びのような口からこう言った。
 その時から血の繋がった唯一の肉親の言葉に導かれるように、私は・・・

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ベンチ

12/09/03 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1380

 ガタタン、ゴトトン……、ガタタン……。プシュー……
 扉が開く。しかし、誰も降りてこない。誰も乗ることはない。
 車内の者は皆、手元の本や携帯に夢中になっている。中には窓の外を眺める者も居るが、遠くの景色を眺めるばかりでこちらに気付くことはない。
 ヒビの入ったアスファルト、そこから顔を出す緑の濃い雑草たち、黒く滲んだトタンの壁、肉眼で見えるほど汚れた蜘蛛の巣が張り巡らされた鉄・・・

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両刃拳

12/08/30 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1216

 習得難易度最高。
 最強の格闘技。
 ただし、公式選での結果なし。
 無傷での勝利不可。
 その格闘技の名前は、両刃拳(リョウジンケン)。

 
 僕が両刃拳の道場の門戸を叩いたのは、守りたいものを守れなかったからだ。
 それまでの僕は、毎日のようにいじめられていた。
 痛みを感じない日はなかった。
 それでも、痛みに慣れることはなく痛・・・

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時を止めた懐中時計

12/08/30 コメント:3件 汐月夜空 閲覧数:1507

「その懐中時計、まだ持ってたんだな」
 賑やかな繁華街、階段をくぐれば一転して闇の世界。
 そんな不思議な街の地下のバーに同年代の男女が二人。
 2人の間のカウンターに置かれた銀色の懐中時計を見て、胸元を大胆に開けた真紅のドレスを着たマリーは琥珀色のバーボンウイスキーの『ワイルドターキー』をロックで飲みながら流暢な英語で言った。
「いつか君が日本に来ると分かってたからね」<・・・

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魔女の条件

12/08/27 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1311

「……ふわあ」
 時空を操る魔女のコリシュは、埃の香りがするベッドから重い体を引きはがし、大きく伸びをした。
 ベッドの左手すぐの窓のカーテンを開けると、ほんわかとした朝の日差しが心地良かった。
 まだ眠い瞼を擦り、今日行う実験で用いる柱時計を見据える。
 6時を指す短針にやや隠れる窓に書かれた数字は99を指していた。
 ……あれ?
 コリシュは些細な違和感を覚・・・

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猫は九回生まれ変わる

12/08/22 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1338

「あなたは何回目?」
 人が行き交う都会の歩道を悠々と歩いていると、突然向かいから近寄ってきた人間にそう声をかけられた。
 僕はおや、と思いながら、その人間の姿をじっと眺める。
 襟元の空いたシャツ、桃色のスカートを着た人間。どうやら性別はメスのようで、その手には、何の変哲もないコンビニの袋が握られている。
 よく見る服装だった。確か、人の世界ではOLと言われる人種。太陽が・・・

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見送り課とは?

12/08/21 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1307

「見送り課って知ってるか?」
「いえ、知りません」
 空間的にも時間的にも、すっかり四次元的に肩身の狭くなった喫煙所で、営業課のツルギが煙を吐き出しながら尋ねてきた。
 僕は煙を輪にするのに夢中になりながら応えた。
「……お前のそれは相変わらず神技だなあ」
「ありがとうございます、ツルギさん」
 目を丸くして僕の吐き出す三連輪を眺めてから、ツルギは続ける。

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走馬灯プール

12/08/17 コメント:5件 汐月夜空 閲覧数:1403

「久しぶりだね」
 辺りには何もなかった。
 広く、どこまでも続くような水平線。
 紅い夕焼けに棚引く煙のような白波の中に。
 切り取られたように、そのプールはあった。
 懐かしい、思い出の貯蓄。
 辺りの風景に心覚えは無かったけれど、心当たりは山ほどあった。
 人肌の温度を持つ水、その中でこちらに向かって手を伸ばし、満面の笑みを湛える彼女。
 彼女・・・

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家族戦争 〜悪の華と善の月〜

12/08/14 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1239

 ――物語はある夏の昼下がり、田中家の台所で始まる。

「グルニャアアアアアアアアアッ!」
「ハナッ!!」

 普段食べているキャットフードの懸賞で当たった黄金の缶詰を食べた飼い猫のアメリカンショートヘアのハナ。
 その身体が突如、猫のそれから人のそれへと変わった。
 黒の線が入った銀色の体毛に覆われた、スラッとした長身の姿。
 ハナが餌を食べている・・・

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溺れてしまった君へ

12/08/09 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1242

「プールの水って綺麗だと思う?」
 高校一年の夏、夕焼けが綺麗な帰り道に歓声が聞こえる市営プールを眺めながら君は言った。
「えー? ……ちゃんと衛生基準を満たしてるらしいから、そこらの川よりは綺麗なんじゃない?」
 僕はわざわざスマートフォンで調べて答えた。君はどれどれ、とそれを受け取って眺めてから、めんどくさくなったのかうんざりした表情でそれを返してくる。
「でも、プール・・・

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地続きの遥か

12/08/08 コメント:3件 汐月夜空 閲覧数:1534

 理系に進んだせいなのか、それとも生まれつき冷めているのか。
 かつての私はオリンピックについて大した思い入れがなかった。
 なぜなら、世界トップクラスの戦いとは言っても、所詮はヒトの生物としての限界の話だからだ。
 スピードは車、高さは飛行機がそれぞれ上回っているし、生物としてチーターに走って勝てるわけでもなく、ペンギンに泳ぎで勝てるわけでもない。
 そうやって『もっとす・・・

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プール、蓄えること

12/08/02 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1569

「プールにもいろいろ意味があるんだよ」
「へえ、例えば?」
 中学三年の夏、他のクラスメイトがクーラーの効いた部屋で受験に向けて勉強に励んでいる中、僕と君は市営プールに足を運んでいた。
 さぼりと言うことなかれ。きちんと夏休みの宿題も終え、毎日のように朝から晩まで勉強をしているからこその……ええと、なんだ。息抜きっていうのかな?
 とにかく、早々に新研究も一通りやり終えた自・・・

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プールを目指す少年

12/08/02 コメント:7件 汐月夜空 閲覧数:1673

「……あつい。……のど、かわいた」
 ギラギラと微塵も弱まることなく照りつける太陽。
 眩む意識、耳鳴る蝉の合唱。吹かない風。
 見上げれば、一片の曇りもない青空。
 生まれてから8度目、物心ついてからは5度目の夏の中を。
 ようやく蝉の鳴き声が判別できるようになった優樹は、プールを開放している小学校を目指して、カラカラと乾いたアスファルトの上を、ペタペタとサンダルで・・・

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揺れるバス

12/07/25 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:1655

 野球応援のために、吹奏楽部をぎゅうぎゅうに押し込んだ学校所持のオンボロな中バスは渋滞の中をのたりくらりと進んでいく。
 来たる定期演奏会への連日の厳しい練習と、迫る期末テストへの決死の勉強で部員はみんな疲れ果てていた。
 妙にハイテンションになって語りあっている元気な後輩も居るが、基本的にみんな静かに物思いに耽っているか、睡眠を取っているため、車内はエンジン音が響くほどに静かだった。・・・

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昼下がりの球場で

12/07/24 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:1564

 球場に着いたときには試合は既に始まっていた。
 僕は球場の石畳の階段を上り、レフト側の芝生に腰を下ろしてから、自動販売機で買った500mL缶の冷たいスポーツドリンクのプルタブを捻った。
 カシュリ、と心地の良い音を聞いてから、勢いよく中身を呷る。
 ゴク、ゴク、ゴク……、ぷはあ。
「あぁ、……生き返る」
 思わず出た独り言、半分ほど飲んだ缶を額に当てて頭を冷やしなが・・・

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閃光華火

12/07/16 コメント:7件 汐月夜空 閲覧数:1661

「華凜、それじゃ駄目だ」
 里屋煙火製造所の工場の中で、華凜は初めて父の静かな駄目出しの声を聴いた。
 華凜にとってこんなことは初めてのことだった。父は華凜が今までしてきた失敗に対して、いつだって怒号を上げてきた。
 花火を造るという仕事は命に係わる仕事だからだ。
 空で開けば人の命を揺らすほどの衝撃を与える花火も、地で開けば簡単に人の命を散らしてしまう。
 父の怒号・・・

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線香花火

12/07/16 コメント:6件 汐月夜空 閲覧数:1517

 毎年お盆は、妻と私と8歳になる娘の幸の三人で家でのんびり過ごすことにしている。
 今年のお盆も13日の夕方に、庭先で取れた新鮮なキュウリで精霊馬を作って、乾燥した麻の茎で迎え火をすることから始まり、16日の今日まで家族団欒の日々を過ごした。
 毎年のことながら、今年のお盆も地味ながらも楽しい毎日だった。
 14日は真夏日で風もなくうだるような暑さの軒先で、お風呂で冷やした今年初・・・

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届け!

12/07/09 コメント:10件 汐月夜空 閲覧数:1613

 ペダルを踏み込む足は既に鉛のように重くて鈍かった。
 心臓の早鐘は容赦なく激痛を生み、懸命に酸素を求める肺が無理やりにでも意識を断とうともがいている。
 ぜっ、ぜっ! と短く濁った呼吸が耳障り。髪は振り乱れてきっと山姥みたいになってる。風に捲れたスカートが隣を走る車の人に見られているかもしれない。

 
 ――かまうものか!

 美紀はさらに強くペダルを・・・

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黄金色の町

12/07/09 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:2267

 ――お前みたいに良い自転車に乗るとやっぱり気持ちいいのか、って?
 そりゃ違えよ。別にオレは自転車本体にこだわりがあるわけじゃねえんだ。
 オレはただ、遠くに行きたいから自転車に乗るんだ。
 遠くに行きたいなら自動車があるだろって?
 はっ、あんた、分かっちゃいねえな。自転車だから良いんだよ。
 ペダルの一漕ぎ一漕ぎが、前への推進力となる充実感。
 後ろを振り・・・

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水族館

12/07/07 コメント:15件 汐月夜空 閲覧数:2088

「やっぱりここに居たんですね、館長」
 辺りを照らすのは水上の従業員用通路と通路に五メートル幅に埋め込まれたブルーライトのみ。その仄暗い明りの中を加賀美は靴音を大きく鳴らさないようにゆっくりと歩いていく。以前館長がここに居た時に、蛍光灯を全部点けて駆け足で近づいて、普段は温厚な館長に信じられないほど怒られたのは記憶に新しかった。
 ――ここ、とは夜の水族館のガラス通路だ。館長は一日の仕・・・

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永族館

12/07/07 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1516

「本日の永族館へのご来館まことにありがとうございます。私、当館の海エリアの管理を担当しております望海(ノゾミ)と申します」
 華奢な身体にぶかぶかの黒のアカデミックドレスを纏い、サイズの合わない同色のタッセル付き角帽からこぼれる腰まで伸びる赤銅色の髪が印象的な少女、望海は久しぶりに訪れたお客様に対して深々とお辞儀をして挨拶をする。
「……おや、これはこれはシルバーヘアのとてもかわいらし・・・

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氷族館

12/07/02 コメント:4件 汐月夜空 閲覧数:1628

 幾万年分の雪の堆積は岩盤と変わらない堅さを得る。
 そんな氷の世界の中で人々は、それでも細々とではあるが生きている。
 電気が日常から失われたのは久しく、炎を目にすることもほとんど無くなった。
 雪表は息を吐けば目が凍り、息を吸えば肺が凍るほど吹雪いている。
 従って人々は雪の中で生を営み、空気を求めて天へと穴を掘るのが理となった。
 そんな、途方も無いほど遠い遠い・・・

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結婚式にはお金がかかる

12/06/02 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1578

「マスター、ちょっと聞いてほしい話があるんだ」
 ある春の日のことだ。
 空が橙から紫へグラデーションを描く黄昏時。
 アンブレラカフェ『雫』のカウンター席に座ったミカドが、雫の定番メニューである、ほろ苦いガトーショコラをつつきながら、呟くように話を切り出した。
「はい。私でよければどうぞお話下さいませ」
 マスターはシルバースプーンを磨いていた手を止めて、ミカド以外・・・

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叶わない夢

12/05/28 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:1787

あの時、私には好きな人が居た。


私が彼に初めて出会ったのは、大学に入ってしばらく経ってからだった。
季節は初夏で、時刻は辺りが紅く染まり始めたくらい。
私はその日、授業が終わったお昼からずっと木陰で本を読んでいた。
周りの人は授業が終わるなりカラオケやボウリング、ショッピングに繰り出していったが、私は決して誘われなかった。
避けられてたわけじゃない。自・・・

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デートプラン

12/05/20 コメント:4件 汐月夜空 閲覧数:1878

「いよいよ来週だね」
タン、とキーボードの小気味のよい音を立ててから、裕樹が振り向いた。どうやら書いている小説が切りの良いところまで進んだようだ。そうでなければ、寝落ちするまで書き続けるのだから今日は運が良い。
「……私、新宿どころか関東にも足を踏み入れたことがないから不安だわ」
「大丈夫、僕もだから。でもさ、こんな機会じゃなきゃ東京なんて行けないし楽しもうよ」
にこりと笑・・・

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歌詠いの妖怪

12/04/30 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:1937

『そうだ、京都、行こう』
自宅に最も近い駅にはその有名すぎるキャッチコピーと美しい写真が映えるポスターが隙間無く張られている。
それを見るたびに思い出す。
あの日、一人旅で出会った一人の少女のことを。

 ☆

僕の一人旅は随分と遅く、二十歳になる三ヶ月前のある冬の日のことだった。
なんだか現実感の無いままに、夜行の高速バスに乗り込んで。
寝心・・・

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アンブレラカフェ

12/04/22 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:2015

カランカラン、と透き通る鈴の音と鼻をくすぐるコーヒーの香りがいつものように迎えてくれた。
いらっしゃいませ、と正面カウンターの向こうから穏やかな声がかかる。彼はこのアンブレラカフェ『雫』のマスター。二十五歳と若く、初見のお客からアルバイトと間違われるのが悩みの少し変わった男だ。モンブランのような色の抜けた髪、精緻に整った顔、『雫』の金色のロゴが左胸に映えるコーヒー色のエプロン、モデルのように・・・

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ロマンの買い手

12/04/18 コメント:2件 汐月夜空 閲覧数:2047

「……思うんだけどさあ」
がらりと引き戸を開けて居酒屋から出たところでナオキが口を開いた。
えー、なに? とミキも続いて暖簾をくぐり、やや肌寒い湿り気を帯びた空気に身をさらした。店先の光に困ったような様子で頬をかくナオキの姿が照らされて、続いてざあざあと雨の音が耳に注がれる。
久しぶりに降る肺の奥まで匂い立つような強い雨だ。天気予報を信じて傘を持って来て良かった。お気に入りの水色・・・

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空に浮かぶ獲物

12/04/13 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1816

「ニャオ―――ーン」
「てめえは犬か!」
いきなり遠吠えをあげる飼い猫のアメリカンショートヘアのヤッケに、突っ込みと言う名のソフトタッチを繰り出す私。
ヤッケが目をランランと輝かせてニャフニャフと興奮気味に見上げているのは、地上より8メートルを優雅に泳ぐ三メートルはある巨大な鯉。世間で五月の頭を空から賑やかす憎めないやつらだ。
何を隠そう今日は散歩がてらにヤッケを連れて、近・・・

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鬼を酔わせて

12/04/13 コメント:0件 汐月夜空 閲覧数:1761

「何で私があんたみたいなやつとお酒を飲まなきゃいけないわけ? 私、居酒屋は一人で来るほうが百倍は好きなんだけど」
ピシッと襟の決まったシャツに、うっすらストライプの入った営業用スーツを律儀に着込み、ピンク色の眼鏡を左手で持ち上げる明美を「まあまあ」となだめつつ、勝之は呼び出しボタンを押す。
『少々お待ちくださいませー!』と遠くに響く威勢の良い女性店員を待ちつつ、「私忙しいんだけど」、「・・・

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