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水面 光さん

■ホームページ「水面文庫」 http://www.minamo-bunko.com/ 忙しい中でも身を粉にして執筆活動しております。ジャンルとしては現代ファンタジーが中心でございます。よろしくどうぞー

性別 男性
将来の夢 物書きでメシを食う
座右の銘 人の心は変わらないから自分が変われ

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待つ人

16/07/04 コンテスト(テーマ):第113回 時空モノガタリ文学賞 【 ダンス 】 コメント:0件 水面 光 閲覧数:583

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私にとってこの世で一番つらい出来事は母の死でした。人によっては恋愛や仕事や人間関係とかお金のこととかが人生で一番つらい悩みのタネになることは知っています。でも私にとっては母がこの世から居なくなり、軽い冗談なんか言いあっておしゃべりすることができないことくらい絶望的なことはありませんでした。そうね、言うとしたら、怖がりの人が真っ暗闇の中をふわふわ浮かぶ、とんでもなく不安で最高に恐ろしいアトラクションを体験させられたあとに、同じのをもう一度やらないとギャラは出ないって言われるようなものよ。でも二度はないの。一度きり。私は母が亡くなるまでに思い出になりそうなことをいっぱいしようと思ったの。精一杯努力はしたわ。でも今じゃみんな忘れてしまった。せめて私の母への愛を書き記しておこうと思ったの。だからこうして何十年も前に買った表紙が黄ばんだ新品のノートに向かってるわけよ。──私は貧しい兼業農家の長女として生を受けた。いいえ、貧しいなんてつらいうちに入らなかった。私があのことに気付いたときが一番絶望を感じたときなの。父はよくありがちな酒乱の暴力親父でいつも母や私たちに暴力をふるってた。そう、私には妹が居たの。今じゃもうすっかり疎遠になっちゃって住所すらわからないけれど。母は最初縫製の内職をしてたけど車の免許を取ってからは地元じゃ有名な旅館で掃除婦をし始めたの。その頃からだったかしら。離婚話が私たちの耳にも届くようになったの。結局父と母は別居することになってどっちについていくかって訊かれた。もちろん私は母についていったわ。あの夢を見たのはたしかその前だった。目が覚めると涙を流してた。今でもそれだけははっきり憶えてる。母が高い所から落っこちて死んでしまう夢。私は夢を人に話すと正夢になるって法則を知ってた。何かで読んだの。だから妹にも話さなかった。誰にも話してないのになんで母が亡くなったのか理解できなかった。あのとき心の底では母はどっちみち必ず死ぬんだって思ってた。繰り返すようだけどそのことに気付いたときが一番絶望を感じたときなの。私は母と仲が悪かった。一方的に母を拒絶していたのだけれど心のどこかではわかっていたのよ。私は母を心から愛しているって。でもおもてには出さなかった。考えてみるとずっと反抗期のままだった。私が心の風邪で入院したとき、あししげく通ってきてくれた母の顔は何度見ても安らぎを覚えたものよ。母は私にとって世界で唯一の最良の理解者だったの。それを考えるとどんなに私が絶望しているかおわかりいただけるでしょう? 出棺のとき涙が出たの。それも憶えてる。棺の中はお花でいっぱいで嬉しさで母が踊りだすんじゃないかしらって思ったの。ほんとよ。係の人が聞こえているから耳元で言ってあげてって言うから私は言ったの。ねえ、踊ってって。お母さん、踊ってって。踊るわけないわよ、死んでるんだもの。そう、あれは三回忌も過ぎた冬のことだったわ。ええ、はっきり憶えてる。真夜中に私を呼ぶ母の声で目が覚めたの。確かに聞こえたの。読書灯をつけて布団からはい出た私はとっさに机の上の小さな遺影を見たわ。そして言った。お母さん、まさか踊ってるの? って。そうよね、ばかばかしいのは十分わかってる。でも、そんな気がしたの。しばらくして寒いことに気付いた。だって今は真冬だもの。庭の花も咲いてない寂しい季節よ。そのとき、おいでって聞こえたの。私はすぐにどこ? って訊き返したわ。こっちって聞こえた。あたたかい春風を感じた。そっちを向いたら目の前にぱあっと見渡すかぎりお花畑がひろがっていたの。真夜中のはずなのにお日様が照ってた。それにとってもいい香りがしたの。私はもう酔っぱらった花見客になった気分でそっちに駆けだそうとしたわ。そしたらうしろで母が言ったの。行っちゃだめって。でもあれは母が言ったのかどうかさえわからないほど私はもう夢中でそっちに行ったのよ。そしたら野卑なテレビ番組でよくやってる落とし穴に落ちちゃった。でもその落とし穴には底がなかった。私は暗闇の中をずっと落ち続けた。いえ、落ちていたというのは錯覚かもしれなかった、だって目を開けているのかさえわからなかった、何も見えないんですもの。鳥の鳴く声がしたと思ったらいつもの天井を見てたわ。はっきり憶えてるのはそれだけ。あのとき思ったの、踊るってこういうことかしらって。お話がだいぶそれちゃったけど私は母を心の底から愛していたの。それだけ憶えてればもういつあっちに行ったってかまやしないわ。ねえ、そうでしょ、お母さん? 私も一緒にダンスがしたいの。あたたかい春風につつまれて、きれいなお花に囲まれて、お天気もいいし、いい香りもする。そこに行けばきっと踊りだすに決まってるもの。待ってるからね、お母さん。


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