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日向 葵さん

「ひなた あおい」と申します。 小説を書きます。 よろしくどうぞ。 twitter@aoi_himata_21

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蕎麦の実の生る頃

16/06/25 コンテスト(テーマ):第111回 時空モノガタリ文学賞 【 蕎麦 】 コメント:2件 日向 葵 閲覧数:764

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 私は蕎麦屋の一人息子である。物心ついた時から母はおらず、気付けば蕎麦を打たされていた。それもあの親父の影響だろう。絵に書いたように無口な親父は、蕎麦を打つことでしかコミュニケーションをとらない人であった。私の蕎麦打ちを後ろから眺め、「まだ緩い」だの「太すぎる」だのと吐き捨てるように言う。幼い頃は文句も言わず蕎麦を打っていた私だったが、小学校を卒業する頃になると反発することが多くなった。田舎のおんぼろ蕎麦屋も、無言で蕎麦を打つ親父も、何もかもが私を不機嫌にさせた。

 そんな私の尖った心を丸めてくれる女性がいた。その女性は毎年、うちの裏手にある「蕎麦の実」が稔り切る頃になると蕎麦屋にやってくる。紅白の巫女装束にも似た着物を身に付けた彼女は、美しいと言うよりも妖艶な雰囲気を纏った女性であった。彼女が立付けの悪い店の引き戸を開けて中へと入ると、親父は必ず店をしめ切る。注文もせず決まった席に着く彼女に合わせて、親父も黙って蕎麦を打ち始める。長らく店内には親父が蕎麦を打つ音だけが響く。私は木に吸収されるその乾いた音を聞きながら、毎年姿の変わらぬ彼女を眺める。彼女はこちらを向きはせず、ただ蕎麦を打つ親父の背中を眺めている。親父が厨房から出てきて、一枚の笊蕎麦を彼女の前に置いた。その上には黄金色に艶めく油揚げが一枚、不似合いに乗せられている。彼女は蕎麦を一口食べると、何か納得したように口元を僅かにほころばせる。その姿はまるで一枚の絵のように私の目に焼き付いた。最後に油揚げを食べ終えると、彼女はお代を払う代わりに静かな一礼を残して私達の元から去っていった。

「彼女は親父の知り合いなのか?」

 私はそう親父に尋ねてみた。それを聞いて親父は蕎麦を打つ手を止め、少し何かを考えた後、再び黙って蕎麦を打ち始めた。親父の背中は私に何かを告げているように感じたが、私はそれを読み取ることはできなかった。


 いつか親父と喧嘩したことがあった。小さないざこざは常に絶えなかったが、記憶に残る程の喧嘩というのは後にも先にもこれっきりである。
 きっかけはつまらないことだった。いつものように愚痴や不満を一方的にぶつけていた私は「こんな蕎麦屋なんか継いで何になるんだ! 」そう捲し立てた。
すると、いつもは口をきかない親父がこの時ばかりは重い口を開いた。
「何が何でも継いでもらう」
蕎麦を打つ手を止めて、相変わらずこちらに背を向けたまま言い放ったその言葉は、私の神経を更に逆なでた。散々喚き散らした後、店の戸を乱暴に開け放ち、家を飛び出した私は地元の稲荷へ駆け込んだ。林を抜け、鳥居をくぐり、苔の生えた石段に座り込む。心を落ち着かせようと努める私に一人の男が話しかけてきた。
「蕎麦屋の倅よ、家の蕎麦の実は生っておるか?」
そう尋ねる神主のような姿の男は私のことを良く知っている口振りであった。
「不思議と毎年豊作です」
確かに家の蕎麦の実は台風が来ようが、干ばつが起きようが、毎年必ず穂を稔らせる。
「そうか、そうか」
納得したように頷きながら神主は去っていく。私はその顔に何か物憂げな表情を見たような気がした。


そんな親父は先日旅立った。病気を押しても蕎麦を打ち続けた親父に半ば呆れながら、遺品の整理を行う。親父の私物は驚くほど少なかった。一向に見つからぬ宝探しのような心持ちで私は箪笥の引き出しを開け、中を覗き込む。そこには古ぼけた一枚の写真と、同じく古ぼけた一通の手紙が淋しく残されていた。

「前略、
蕎麦の実が稔らなくなって三年が経ちました。稔らなくなった蕎麦の実を待ち続けるあなたは頑固だから、もう三年も蕎麦を打っていないでしょう。それもお狐様に見初められた私が悪いのです。これはきっと結納を拒み続ける私への天罰なのでしょう。私達二人なら家計もまだ持ちますが、子供も生まれて些か家計も厳しくなりました。私はこれから稲荷へ向かいます。妖の道を選んだ私をどうかお許しください。私は蕎麦を打つあなたの背中を見るのが何より幸せなのです。 かしこ 」

 古く黄ばんだ紙に所々掠れた鉛筆の文字が並ぶ。恐らく親父に宛がわれたであろう手紙の最後には、小さな丸い染みが二つ滲んでいた。私は手紙に添えられた写真へと手を伸ばす。写真には袴を履いた仏頂面の親父、その隣で赤ん坊を優しく抱く、紅白の着物を身につけた女性が写っていた。私の頬に一筋の水跡が伝う。私の心に呼応して流れるそれは留処無く溢れ続けた。私は親父が蕎麦を打ち続けた訳をようやく理解した。無言で蕎麦を打つ親父の背中が浮かぶ。その光景は、父の不器用な愛そのものであった。

 私は蕎麦を打つ。不器用な父と、蕎麦の実の生る頃に訪れる母のために。
 今年も「蕎麦の実」は豊作である。


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このストーリーに関するコメント

16/06/25 クナリ

切なくもロマンチックな物語でした。
本人たちから直接語られないからこそ伝わってくる想いが、印象的でした。

16/06/27 日向 葵

>クナリ様
家族愛的なものをサブテーマとして設定致しました。
それぞれの想いを読み取って頂ければ幸いです。

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