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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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相撲風景

17/12/07 コンテスト(テーマ):第120回 【 自由投稿スペース 】 コメント:2件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:90

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 私が小学生だったころ、裏の山に大相撲がやってきた。  鹿が飼われた檻の横に建立された記念碑まえの公園に、垂れ幕をはりめぐらせたなかに、土俵をもりあげそのまわりを、いっぱいの見物人が集まっていた。  家が山のすぐ下にあった私もまた、お金を払って――子供料金は少額だった――相撲をみることにした。  稽古の模様を披露していたのか、若手力士たちに胸を貸しているのは、当時大横綱とうたわれた力士だった。肉体と肉体がぶつかりあう烈しさに私は度肝をぬかれた。  花道のはずれに私がぼんやりたっているところへ、二人の力士がふざけてからみあいながら倒れかかってきて、そばにいた女性があぶないと私の腕をひっぱってくれた。  おぼえているのはそのぐらいのことで、肝心の取り組みの記憶はとんとない。  相撲が終わって、力士たちが近所の銭湯に汗をながしにきた。遅れて私が洗面器片手にいくと、浴室から経営者が洗面器に山盛りの砂を盛ってあらわれた。それはまた勝負のほこらかな名残でもあった。  数日後にふたたび相撲場となった公園にいってみると、垂れ幕はきれいにとりのぞかれていたが、なぜか土俵だけはまるで忘れられたかのようにそのまま残っていた。当日のにぎわいがまだまぶたに強くはりついているだけに、木立のたちならぶひとけのない公園はいっそうさびしげにおもえた。  その土俵はそれから何年ものあいだ、そこにあった。雨風にさらされだんだんすりへってはきても、それでもその場所が平らにもどるまでには相当の歳月を費やしたことだろう。その後ふただび巡業がくることはなかったので、公園で大相撲があったことを知らない人は、どうしてここに土俵があるのか、不思議におもったのではないだろうか。  いま相撲の世界はゆれうごいているが、当時の相撲世界はどうだったのだろう。外部のものにそれをうかがいしるすべはない。ただあのとき、私のほうに倒れかかってきた力士たちの姿は、子供のように明るくたのしそうだった。  そしてそのとき私の身を案じて、とっさに引き寄せてくれた女性のことをおもうと、いまだに私の心ははほのぼのとしたぬくもりにつつまれるのだった。


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このストーリーに関するコメント

17/12/08 木野 道々草

素敵な思い出の一片を、このような形で読ませていただき嬉しいです。私はこれまで、実際に相撲の取り組みを見る機会がありません。しかし、地方巡業で子供と力士が取り組みをしているのをテレビで見ると、本当に楽しそうで、きっと子供たちの一生の思い出になるのだろうと感じます。

17/12/09 W・アーム・スープレックス

ありがとうございます。
公園での大相撲はよく晴れた一日におこなわれました。子供のころの記憶なので、その前後のことはきれいに忘れていますが、エッセイに書いた出来事はいまでもよくおぼえています。私の中の、永遠の一コマです。

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