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要崎紫月さん

『精神攻撃系お耽美ホラー』と銘打ち、短編を書いています

性別 女性
将来の夢
座右の銘 一生懸命

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形見の財布

17/10/21 コンテスト(テーマ):第145回 時空モノガタリ文学賞 【 財布 】 コメント:0件 要崎紫月 閲覧数:158

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 男ばかりで二時間ほど居酒屋で飲んだ後、後輩が女の子と飲もうと言い出した。可愛い娘が居るんですよ、なんて言ったが興味は湧かなかった。
 僕はここで帰りたかった。外で飲むのはあまり好きではなかったし、そもそも彼とは一年しか一緒に仕事をしていない。それなのに何故、メンバーに入れられたのか不思議で仕方無い。
 彼は入社後、僕が所属する部署に配属されたのだが、数ヶ月すると営業部への話が出て、年度が変わると異動してしまった。明るいし、話のテンポは良いし、フットワークも軽い。その上、上司に何を言われてもヘコむ様子も無かった。今の顔色を見ていると、異動は正解だったのだろう。
 仕事は金と割り切る、ほろ酔いの後輩はビール片手にそう言い放ったが、僕は割り切る事が出来無かった。細かくて地味な事務屋、自分にはそれが合っている。
 きっと何かと忙しい営業部のメンツは出払っていて、飲み会の相手は捕まらなかったのかもしれない。
 奢りますよ、と強気な事を言う。まだ結婚していないのならちゃんと貯金しておけ、と言うと彼は、大丈夫、と何度も繰り返した。


 行きつけにし始めたらしいキャバクラに入ると、案内されたボックス席に座り、しばらくすると隣に女の子がついてくれた。
薄ピンクのロングドレスを纏い、白く滑らかな丸い肩を露出させている。三十歳手前ぐらいだろうか。若いと聞いて想像した姿と少し違った。
 ここでする話は中身の無い話だ、適当に相槌を打ちながら女の子が作ってくれた少し濃い目の酒をちびちびと飲む。
 不意に楽しそうに喋る女の子の手が、僕の太ももに触れた。ただの弾みであるのは分かった筈なのに、その綺麗に装飾が施された手を払いのけていた。
 しまった、そう思った時には遅かった。申し訳無く女の子を見ると変わらず笑顔のままで、ごめんなさい、と小さな声で言った。しかし、それが本心でないのは瞳で直ぐに分かった。

「ちょっと、ゴメン」

 僕は通勤鞄を抱えて席を立った。
「先輩、まさか帰るんじゃないでしょうね?」
 後輩の酔っ払った声が飛んだ。

「帰らないよ!」

 丁度通りかかったボーイにお手洗いの場所を聞き、脇目も降らず駆け込んだ。
個室に入り鍵を掛けると、スラックスを履いたまま便座に腰掛ける。膝の上に鞄を乗せ、後ろのポケットから財布を出す。奢りとはいえ、全て出してもらうのは申し訳無い気がした。
 足りなかったら、どうしようか。
 僕は鞄を開け、もう一つの財布を取り出す。そして、落ち着いた光沢感のある表面をそっと撫でる。
 世界で一つだけの財布。
 特別に誂えてもらったラウンドファスナーの長財布だ。しかし、これを作った革小物の職人は、この依頼を最後に店を畳んでしまった。
 一ヶ月程しておやじさんの顔を見に行こうと思ったら、店先に不動産屋の看板が置いてあった。どうやら店ごと売却してしまった様だった。だから尚一層大事にしている。
 この財布にはクレジットカードと予備の金を入れてあるのだが、まじないでもかかっているのか、本当に必要な時にしか口を開いてくれない。これまでに外食ばかりして小遣いが足らず二、三度ほど開けようとしてファスナーが壊れてしまうんじゃないかと思い、諦めた事があった。
 スーツを新調した時はすんなりと開いたのだが。
 おそるおそる開けてみる。
 ギチッ。
 もう一度やってみるもやはり開かない。
 ギチギチッ。
 開けようとすればするほど、ファスナーの歯がきつく噛み合ってゆく様だった。子供の頃の綱引きを思わせる、まさに駆け引きだった。
 亡き妻の形見であるこの財布に、今も僕は紐を握られ続けている。そう思わずにはいられなかった。
 思わずため息をつき、今回も諦めて財布を鞄に仕舞った。
 リペアに出せる店はもう何処にも無い。あの店のあのおやじさんにしか頼めない、これはそんな品物なのだ。
 ひとしきり飲んで結局、言葉に偽りは無く、後輩が全て支払いを済ませてくれて正直ほっとした。
 僕はもう一軒行く彼らと店の前で無理矢理別れ、駅へと向かった。
 信号待ちで鞄からあの財布をもう一度取り出し、右手で握った。酔って火照った身体に夜風が気持ち良い。
 信号が青になる。
 いつもより手を振って歩く。
 白線だけを選んで、踏み、跳ねる様に歩く。
 妻はいい歳になっても、こうして歩くのが好きだった。
 初めて手を繋いだ日の事は今でも鮮明に覚えている。もう三十年も前の出来事なのに。
 こうしてこの財布を握っていると色々と思い出してくる。
 人混みにはぐれてしまわない様に、華奢な手首を掴んだ事。
 この手を離してしまったら、何処かに行ってしまうんじゃないかと不安になった事も。
 僕は立ち止まり、思わず財布に頬擦りをする。


 ああ、やっぱり妻革は最高だ。


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