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入江弥彦さん

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冷えた味噌煮のおいしさたるや

17/10/12 コンテスト(テーマ):第145回 時空モノガタリ文学賞 【 財布 】 コメント:0件 入江弥彦 閲覧数:249

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 明美が新しい財布を飼ったと言っていた。
 派手な髪色をしているわけではないし、制服のスカートもきちんと膝丈だ。目立つ行動もなく優等生な明美だけれど、持ち物をコロコロと変える癖がある。同じグループに所属していない私の耳にも届くくらいだ。
「財布かえたんだって?」
 放課後にに彼女の席に向かうと、少し驚いたように髪を触ってから小さくうなずいた。
「うん、前のに飽きちゃって」
「へえ、飽き性」
「そうなの。私、飽き性なの」
 佐川さんは飽きないの?
 申し訳なさそうなそれでいて不思議そうな顔をして首をかしげた明美が、そんな風に言っているような気がした。
 私が席から離れると、すぐに明美のグループの女子が群がる。大丈夫だった、どうしたの、明美を心配するような言葉をかけながらこちらをチラチラと見てくる彼女らの目的は明美の財布なのだろう。
「今度の財布はどこのなの?」
「えっと、なんだっけ、貿易商らしいけど」
「すごい! また大企業なんだ!」
 そんな会話の後には決まって、ご飯の誘いが続くはずだ。聞いていられなくなって教室から出たので、本当のことはわからない。
 帰宅の連絡を入れると、可愛いスタンプが帰ってきた。



 扉を開けると、いい匂いが漂ってくる。
 少し遅れて、ドタバタとせわしない足音。
「おかえり、里穂!」
 私よりいくらか背の高い彼を受け止めると、嬉しそうにすんすんと鼻を鳴らした。
「ただいま、コウくん。いい匂いだね」
「今日は鯖の味噌煮込みだよ」
「和食だ」
「俺が作った味噌煮込み、食べたかったでしょ?」
 鞄を下ろして小さなローテーブルのそばに腰掛けると、早く着替えておいでとせかされる。今座ったところなのに、なんていうのはお構いなしだ。
 仕方なく立ち上がって脱衣所に向かった。ご丁寧に、私の部屋着が用意してある。脱いだ制服を壁につってあるハンガーにかけてリビングと呼ぶには少し狭いワンルームへ戻った。
 炊きたてのご飯の香りが家中に充満する。
「ねえ、今日ね、クラスの子が財布をかえたんだって」
 ご飯を受け取って私がそう言うと、彼の動きが一瞬止まった。
「へえ、前に言ってた子?」
「うん、同じ子」
 コウくんは私の話をよく覚えている。
 いただきますと手を合わせて鯖の味噌煮に箸を沈めた。
「飽き性なんだって」
 何かを伝えたいわけではないけれど、胸の奥のモヤモヤをうまく吐き出す方法を探して鯖を口に運ぶ。少し濃い味付けが、食欲をそそる。飽きない味、昔ながらの味、それから、もう十年は作ってもらっている味だ。
「コウくんは、私が財布を変えるって言ったらどうする?」
 今度は、一瞬じゃなくて完全に動きが止まった。
 少し考えて、仕方ないかなと呟いた。
「古いものを変えたくなるのって、多分人の性なんじゃないかな。その人みたいに、飽きちゃうのとは違うけど、里穂は結構長いこと使ってるじゃん」
「そういうものかな」
「そういうものだよ、冷めちゃう前に食べちゃって」
 無理矢理なかたちで終わらされた会話が、コウくんの本音を表している。不機嫌な時に饒舌になるのも、私はよく知っている。自慢じゃないけれど、私は持ち物に執着するタイプなのだ。
 先に食べ終わったコウくんが無言でお皿を下げる。
「ねえコウくん。私ね、財布をかえたいとも古いとも思わないよ」
「結構、長い付き合いだけど?」
「古いんじゃなくて、愛着がわいてきたんだよ」
「お金の多い財布の方がいいんじゃない?」
 ああ、これは、本格的に拗ねている。
 立ち上がってコウくんの後ろから腕をまわすと、少しだけ震えているようだった。拗ねてるんじゃなくて、怖がっていたのかもしれない。
「食事中に行儀悪いよ」
「私は、コウくんがいいの」
 私が彼の言葉に返事をしないことは珍しくない。突然の話題にも対応してくれる。
 和食も洋食も中華もおいしいし、なんならパンも作れるだろう。
 それになにより。
「私はコウくんが好きだから。お金じゃないよ」
 家のどこにいてもコウくんと近くに居ることができる、このワンルームが気に入っているのだ。
「それ、外で言っちゃダメだからな」
「わかってる」
「俺とのことも」
「わかってるってば」
 コウくんが振り返って私を抱きしめる。
 あやすように背中をなでると、彼は小さな声でごめんねと呟いた。
「新しい財布を飼うって、体力使いそうだしね」
「体力使わなくても、飼いかえたりしないで」
「もちろんだよ」
 私たちのこの関係を昔の言葉で言うのなら、きっと恋人というのだろう。
「続き、食べちゃいな」
「うん、そうだね」
「おいしい?」
「おいしいよ、コウくんが作ってくれたから」
 長い共同生活の中で得た知識。鯖の味噌煮は冷たくなってもおいしいのだ。


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